現在の場所:
ホーム  »  組織別一覧 » 東京事務所 » 東京の山形 » 施設 » 松尾芭蕉庵跡

松尾芭蕉庵跡

月日は百代の過客にして、行かふ年も、又旅人也
 
 46歳のときに「奥の細道」へ旅立った芭蕉は、5・7・5 合計17文字の俳句の中に、時間や空間をするどく切取り、多くの感動を後の世代に伝えています。山形県内には約40日間滞在し、たくさんの名句を残しました。200年以上たった今でも、少しも色あせることなく当時の風景・生活・匂いを伝えています。
<都内の芭蕉ゆかりの施設>
  ○芭蕉記念館 江東区常盤1-6-3
     深川芭蕉庵があった場所。
     都営新宿線、大江戸線、「森下駅」
     江東区森下、深川地域には
     他に、芭蕉稲荷、芭蕉像など、芭蕉ゆかりの地が多く残る。
                              芭蕉記念館 
                                          (芭蕉記念館)
.
  ○芭蕉記念公園 江東区常盤1-1
   清洲橋萬年橋の近く、隅田川を望む小高い場所に松尾芭蕉像がある。
                                                                 

芭蕉像芭蕉像概観

                  (松尾芭蕉像)                  芭蕉像概観 左手に芭蕉の木(バナナの木が植えられている)
.
  ○関口芭蕉庵 文京区関口2-11-3
     記念館となっている。 
     江戸の市民の水源となった神田川の上水工事に従事するため、3年ほど滞在。
     こじんまりした植物庭園になっている。

関口芭蕉庵

                                          (関口芭蕉庵)
    ※当時の芭蕉庵は、火事で消失。
      現在残るものは再築されたもの。(関口芭蕉庵)
.
 
 ○千住大橋矢立初の碑(大橋公園内)足立区千住橋戸町千住大橋周辺 
     芭蕉が隅田川を遡り下船し、奥の細道に旅立った場所。
    
.
<松尾芭蕉略歴>
  1644年 正保元年 伊賀上野(現三重県上野市赤坂町て出生)
    準武士農民 松尾家に生まれる
    幼名 金作  父、母、兄、姉1妹3。 父とは、芭蕉13歳の時に死別 
  29歳の春に、江戸に下る。
  34歳のときに、神田上水の修理工事にたずさわる。文京区関口に住まう。 
  38歳より、それまでの「桃青」という号命から「芭蕉」と名乗る。
  43歳、「古池や蛙飛び込む水のおと」の句を詠む。深川芭蕉庵にて
  44歳、10月「笈の小文」の旅に出る。豊橋、伊賀上野、伊勢、高野山、奈良、大阪。
  46歳、元禄2年、1639年3月27日 「奥の細道」の旅にでかける。
  51歳、故郷に戻り死去。
.
<奥の細道 (概略)>
  全行程約150日間、600里(2,400キロ)東北、北陸の旅の紀行
  3月27日(旧暦)、5月16日(新暦)、深川の庵より、船で隅田川をさかのぼり、千住大橋で下船「奥の細道」へ
  以下旧暦4月20日 白河、5月9日 松島、5月13日 平泉、5月17日 尾花沢
     5月27日 山寺、6月3日 羽黒、6月13日酒田、6月16日象潟、
     7月15日 金沢、8月21日 大垣 他
.
<山形県で詠んだ俳句>(主なもの) 奥の細道

  暑き日を海に入れたり最上川(酒田)

  あつみ山吹浦かけて夕すずみ(遊佐)

  語られぬ湯殿に濡らす袂かな(湯殿山)
  
  雲の峰いくつ崩れて月の山(月山)
  
  五月雨を集めて早し最上川(大石田)
  
  閑かさや岩にしみ入蝉の声 (山寺)
  
  閑かさやほの三日月の羽黒山 (羽黒山)
  
  その玉や羽黒にかへす法の月(羽黒山)
  
  眉掃きを俤にして紅の花(尾花沢)
  
  めずらしや山を出羽の初茄子(鶴岡)
  
  蚤虱馬の尿する枕元 (最上町 封人の家)
.
<その他、芭蕉紀行文> 
  野ざらし紀行(41歳~42歳) 箱根、大井川、伊勢神宮、伊賀上野、奈良、京都、甲斐 他
  鹿島紀行(44歳)   行徳、筑波山、鹿島、他
  笈の小文(44歳~45歳) 伊勢、吉野、高野山、明石 他
  更科紀行(46歳~47歳) 浅間山、善光寺、岐阜 他


 

この記事に対するお問い合わせ

ナビゲーション

関連情報