天童西部交番
天童西部交番の概要
天童西部交番は平成17年4月1日に誕生した新しい交番です。
旧小幡皮膚科医院跡地に建てられた、
天童初の交番として誕生しました。
平成19年3月20日に誕生した
天童南部交番と共に天童の治安を守る
交番として警察官10名が昼夜勤務し、
地域住民の安全安心のために
頑張っています。
天童西部交番
住所 山形県天童市交り江四丁目6番23号
電話 023-653-2030
受持区域
駅西1丁目~5丁目、交り江1丁目~5丁目、柏木町1丁目~3丁目
小関1丁目~2丁目、老野森1丁目~3丁目、泉町1丁目~2丁目
糠塚1丁目~3丁目、久野本1丁目~5丁目、北久野本1丁目~5丁目
東久野本1~3丁目、乱川1丁目~4丁目、大字寺津、大字藤内新田、大字小関
大字今町、大字大町、大字大清水、大字高木、大字成生、大字蔵増、大字矢野目
大字塚野目、大字高野辺、大字窪野目、大字久野本、大字老野森、大字乱川、大字万代
になります。
受持ち管内の名所・旧跡

国指定史跡『西沼田遺跡』(大字矢野目字西沼田)
昭和60年4~10月に遺跡中央部の900㎡を発掘調査したところ、6世紀から7世紀頃の建築部材が大量に出土しました。建築部材と共に、当時の生活面からは木製品、土器、石製品、炭化米、木の実なども大量に出土しています。
土器は、土師器と須漆器が見出されましたが、土師器が圧倒的に多く、装飾品の勾玉、蓑玉などの石器品も見られます。木製品が豊富なことは当該石遺跡の大きな特徴であり、農具、生活用具、そして祭祀に用いたと思われるものも見出されたそうです。
遺跡が最も栄えた古墳時代後期(今から約1400年前)の農村集落を復元し、平成20年から一般に公開されています。一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか?太古の天童市の景色が甦ってくるかもしれません・・・・・。

大関『源氏山吉太夫 二代秀ノ山』 像 (大字寺津)
水郷寺津資料館の西方に平成13年12月に建立された像ですが、天童市有史以来の最高の力士の像です。身長6尺、体重35貫とありますので、現在で言えば身長約181㎝体重約131㎏といったところでしょうか。
当時は横綱制度が無かったので、大関といえば実質的に当時の最高位となります。
天童市有史以来の最高の力士です、是非一度ご覧になってはいかがでしょうか?
寺津河岸跡 (大字寺津)
かつて寺津は最上川舟運で栄えた町でした。
寺津は須川が大きく湾曲して最上川に合流する地点に位置し、湾曲部の丸淵河岸は現在も三日月湖として残っています。山形城下からの諸荷物は、寺津の南方約7㎞にある船町から川船に乗せて須川を下り、寺津で大きい舟に乗せ替えて最上川を下っていったそうです。
宝暦8年(1758年)最上川船の商人荷物の積船のうち、45%が寺津河岸のもので、大石田河岸に次ぐ繁栄ぶりだったそうで、その為、上流の船町河岸としばしば、争いを引き起こしていたそうですが、今はわずかに堀跡がわかる程度です。
大関『源氏山吉太夫 二代秀ノ山』像もすぐ近くにありますので、近くに寄られた際は是非ご覧になってみて下さい。

龍頭観現 (大字成生)
成生館跡、築山に祀られています。付近の民家に残る享禄2年(1529年)の縁起書によると、その昔暴風が吹き荒れたある日、大音響と共に龍の頭が落ちてきたので、屋敷に埋めて龍頭権現とした、と伝えられています。
この龍頭権現の西方には果樹園が広がっていますが、丁度その辺りが天道頼直がよった居館という成生館跡になり今でも、土塁と堀の一部がのこっています。
成生館跡から北方に移動すると二階堂屋敷跡があり、典型的な鎌倉期の居館跡であり、成生荘の地頭である二階堂氏の居館という説もあります。又、一向上人が仏向寺を建て、後に舞鶴山の西麓に移転したとも言われております。
成生荘はほぼ現在の天童市を荘域とする皇室領荘園で、地頭の二階堂氏は弘長3年(1263年)、若松寺に懸仏を奉納しています。

高木ひょうたん池 (八幡原清水)
乱川扇状地の大湧水池の一つで、昔から豊富な湧水量を誇り、高木川の源流にあたります。しかし、上流の市街地・道路開発で湧水量は大きく減少しています。また、イバラトミヨの生息地として、昭和61年に県の天然記念物の指定を受けています。
イバラトミヨとは、トゲウオ科のトミヨ属に属する淡水魚で、体長は4~5㎝、背に7~9本のトゲがあるのが特徴で、3月中旬からの繁殖期には、オスが水草片で巣をつくり、そこにメスが産卵します。
学術上、氷河期の遺存種といわれ、全国的にも珍しく貴重である。生息するには、年間を通じて水温が12度C±1度Cの清流であることが条件になります。
この貴重な魚が今後とも生息できるように、池の中に入ったり、物を捨てたりせず、温かく見守っていきたいものです。