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齋藤茂吉文化賞受賞者21-30回

第21回(昭和50年度)
 
佐藤公太郎(さとう・こうたろう)

《酒田市》
 明治40年生まれ。氏は、昭和32年から、「みちのく豆本」を刊行する等郷土における文芸活動に活躍している。
「みちのく豆本」の刊行。これまで65冊。
昭和42年 高山樗牛賞受賞
 主な著書
  「むがしむがしあったけど」正続、「加賀屋の三平」、「錦旗の駒」、「ふるさとの味」、「唐の大王鳥」、「庄内艶笑譚」

磯部竹風(いそべ・ちくふう)

《米沢市》
 明治28年生まれ。
 氏は、永年、華道及び茶道の教授として県内外においてひろく活躍している。
昭和 5 年 6 月池坊入門、故茨木峯月先生に師事
昭和16年11月池坊華道会米沢支部常任幹事考査員を拝命
昭和27年 4 月米沢茶道連合会長
昭和30年 6 月池坊華道会米沢支部長
昭和32年10月流茶道福島支部長・宗流本部理事
昭和33年 6 月総華督
昭和33年池坊大学華専専攻科卒業
昭和38年10月流茶道東北ブロック長
昭和40年 2 月ニューヨーク世界博覧会における池坊芸術展に出瓶の為、日本華道文化使節ならびに特派教授として派遣され渡米
昭和46年 4 月池坊華道会本部監事を拝命
昭和47年 4 月池坊華道会本部顧問に任命
昭和47年 9 月 9 日多年上杉神社、松岬神社に献華を続け地方文化の興隆に努めたので松ヶ岬賞を受賞
昭和48年11月23日多年にわたり茶華道を通じて情操教育に尽瘁され、社会教育の振興に貢献した功績により米沢市篤行者として米沢市長より表彰を受賞
昭和50年 5 月15日茶華道を通じ地方文化の興隆に貢献した功績により米沢文化懇話賞を受賞

松岡元久(まつおか・もとひさ)

《山形市》
 大正7年生まれ
昭和21年 8 月 東京高等師範学校附属中学校(旧制)教諭
この間 文部省教材等調査委員
  文部省学術用語審査委員会専門委員
  東京教育大学講師(非常勤)
昭和31年10月 山形大学助教授(教育学部)
この間 山形大学学生課長、併任
昭和42年 4 月 山形大学教授(教育学部)に昇任
この間 山形大学教育学部附属中学校長、併任
  現在に至る
 和算の研究
  特に会田算左ェ門、安嶋直円の集大成。
  最上(さいじょう)流和算史の研究(山形大学佐久間文庫を中心として)
 主要著作
  「会田算左衛門安明」
  「安嶋直円全集」
  「山形の算額(付、山形県算歌名鑑)」(正続篇)

錦 三郎(にしき・さぶろう)

《南陽市》
 大正3年生まれ
<南陽市赤湯、高畠地区において晩秋の青空を飛ぶ奇現象の解明>
 通称「雪迎え」について、昭和13年より関心を持ち、昭和30年東亜蜘蛛学会に入会、追手門学院大学教授八木沼博士に師事し、専門的に研究し、日本において未開拓の蜘蛛の空中分散について継続的な研究を行い、クモの種類、生態を観察記録し生態学的な解明を果した。蜘蛛の空中分散についての研究では日本で唯一の権威者であり、外国の研究者にもよく知られている。
<山形県内の蜘蛛採集と研究>
 昭和26年より県内の蜘蛛を採集し、リストを作り現在約160種を確認している。その中には新種として発表された「ニシキサラグモ」を始め、数種類の新種を発見している。
<山形県指定天然記念物「白竜湖泥炭形成植物群落」の研究>
 昭和31年から白竜湖湿原植物の調査を行い植物相の推移の記録、スライド作製を続けるほか、昭和33年から同湖周辺の野鳥の観察と記録(映画、スライド製作)を行い、自然保護や野鳥保護に対する貴重な資料を提出し、その重要性を啓発する等、その対象は蜘蛛のみではなく各分野にわたり積極的な活動を続けている。
 主な著書
  昭和39年 「蜘蛛百態」
  昭和47年 「飛行蜘蛛」
  昭和49年 「空をとぶクモ」
  昭和50年 「雪迎え」
 
第22回(昭和51年度)
 
阿部房太郎(あべ・ふさたろう)

《山辺町》
 明治25年生まれ。郷土に伝えられている山辺人形芝居に独特の創意工夫を加えて、伝統芸能の保存育成に尽力している。
 山辺人形芝居の伝統芸能を保存発展させてきており、人形の作り方、動かし方にも創意工夫をこらして、在来のものをより新しい様式にしている。
 年間約20回の上演活動をつづけ、郷土文化の発掘向上に尽力しており、地域にあって、貴重な文化活動として評価されている。
 県内のみならず、国立劇場公演はじめNHKテレビ放映等全国にも紹介されている。

室岡松孝(むろおか・しょうこう)

《山形市》
 大正7年生まれ。山田流山木派室岡系家元として、箏曲の普及発展に貢献しているほか、学校音楽教育にも尽力し、県内音楽教育の中で邦楽指導にあたっている。
 無形文化財越野栄松師の高弟で昭和27年山田流箏曲協会から免章独立の認可を得、山田流山木派室岡系家元となり子弟の教授にあたり、箏曲の普及発展に貢献した。
 現在、日本三曲協会参与CBSソニー専属・コロンビアレコード専属
 作曲「長井の久保の桜」「山形の駒姫」「最上川」等多数
 日本邦楽の普及発展のために、学校音楽教育にも尽力し、昭和48年以来、音楽教育研究会の講師として、県内音楽研究会の邦楽指導にあたっている。

工藤定雄(くどう・さだお)

《山形市》
 明治45年生まれ。永年、郷土の歴史資料の調査研究に尽力し、山形県史編さん主任会議員をはじめ各地の歴史調査、研究、発刊等に参画するとともに、後輩の指導育成に貢献している。
 山形県史編さん主任会議員、酒田市史編さん主任、山形市史編さん主任、大石田町史・川西町吉島誌編さん主任等として郷土の歴史調査、研究、発刊に貢献している。
 昭和51年4月以降県文化財保護審議会委員として、歴史部門を担当、歴史資料の調査研究とその保護に尽力している。
 主な著書
  昭和29年      酒田市史 上巻
  昭和33年      酒田市史 下巻
  昭和38年~48年 酒田市史料 第1集~第6集(7.8集続刊)
  昭和41年      加茂港史(秋野庸太郎氏と共編)
  昭和42年      中郡村史(長井政太郎氏と共編)
  昭和45年      山形県史資料編12.(酒田県政史料)
  昭和47年・49年   山形県史(農業篇(下)同商工篇)
  昭和41年~58年 山形市史 4冊(続刊)
  その他編著書、共編著書、研究論文が多数ある。

置賜史談会
(おきたましだんかい)

代表者 今泉亨吉

《米沢市》
 当会は、昭和27年6月、郷土歴史研究者によって設立された団体である。今では、24年の歩みを続け、会員492名の組織に一大発展を遂げ、置賜地区唯一の郷土史研究団体の位置を占めている。とくに対象となる地域は、単に置賜地区に限らず、かって関係のあった新潟・福島・宮城・長野・関東各県等に及ぶものである。しかも、郷土の先史的考察は勿論、民間信仰・修験道・仏教文化・芸能・文化財等多方面にわたり鋭意未開の分野に挑み、正しく史実を究明し続けてきた業績は、まことに偉大なものがある。
 わけても自主活動による貴重な会誌「置賜文化」並びに「置賜の文化財」写真集の刊行は、現在まで会誌59号写真集3巻に及び、これらの資料は、会員のみならず広く教育機関、専門分野等に配布され、県史中置賜の先史解明に稗益するところ、実に顕著なるものである。又、一連の当会事業中、研究発表会・講演会・展示会・史蹟調査・史蹟巡り等の開催は、年々参加者の増大と相まって貴重な価値あるものと高く評価されている。とくに役員各位の奉仕的な活躍と、会員個々が置賜はひとつであるという見地に立って、協力一致して、ひたむきに寄せられている隣人愛・郷土愛の篤さは、未来この地域に住む人達にまで、正しい歴史を相伝えてゆかねばという使命感のほとばしりの中に明らかに感じさせられる。
 
第23回(昭和52年度)
 
佐藤十弥(さとう・とうや)

《酒田市》
 明治40年生まれ。すぐれた詩人として幅広く活躍しているほか、「みちのく豆本」等にすばらしい装幀をつづけるなど、ユニークなグラフィックデザイン活動も展開して地域文化活動に大きく貢献している。
 主な創作活動
  散文詩集「かられらる物語」(昭和11年)
  再   版「かられらる物語」(昭和33年)
  句   集「鼎嶺」(昭和38年)
  円形詩集「つぶらなるもの」(昭和42年)
  詩 画 集 「髪 譜」(昭和46年)
  詩   集「私の紋章」(昭和50年)
  再   版「つぶらなるもの」(昭和51年)
  「人形と詩によるファンタジィー」(昭和52年)

高橋敬典(たかはし・よしのり)

《山形市》
 大正9年生まれ。茶釜、鉄瓶等の伝統工芸の作家として活躍しており、古来からの山形鉄器に新しい機能美を求めてユニークな作品を発表し、地域の文化発展に大きく貢献している。
 日展並びに日本伝統工芸展に茶釜、鉄瓶の作家として活躍し、鑑査委員を歴任した。
 昭和39年以来インダストリアルデザインの分野に取り組み、古来からの山形鉄器のスキ焼鍋、灰皿などに現代的機能美を追求し、20点以上が通産省のグッドデザインに選定されるなど新しい伝統美の発展に功績があった。
 日展入選連続7回(昭和26年~32年)、日本花器茶器展読売新聞社賞(昭和35年)、中小企業展通商大臣賞(昭和40年)、日本伝統工芸展NHK会長賞(昭和51年)、第10回日本伝統工芸展工芸会会長賞(昭和38年)、第18回日本伝統工芸展(昭和46年)文化庁買上、第12回日本伝統工芸新作展日本工芸会賞(昭和47年)

斎藤 仁(さいとう・じん)

《山形市》
 明治37年生まれ。大正末期から昭和のはじめにかけて新劇運動を山形にはじめてひらくなどして本県文化運動に先駆的な貢献をなしたほか、ひろく民俗芸能、郷土文化等の分野で活躍しており、本県文化運動全般に大きな貢献をしている。
 大正末期から昭和のはじめにおいて、山形県最初の文芸雑誌「耕人」や「燃えんとする者」「壁」等を発刊するほか築地小劇場(小山内薫)を数度にわたって山形に招き公演し、新劇運動を山形にはじめてひらいた。
 石井漠、石井小浪、崔承喜らの洋舞、民族舞踊を山形に招いて公演し、バレエの鑑賞と愛好の風潮をひろげた。
 回じ時期に、野口雨情、白鳥省吾、本居長世、中山晋平などを中央から招いて講演会、演奏会等をひらき、文芸運動の草創期に活躍した。
 山形県の民芸の復興にカを傾け、山形民芸協会を創設し、自ら理事長となって全国的な活動を展開している。
 郷土料理研究等ユニークな活動を通じ食文化の普及発展に尽力しているほか、その他の文芸活動、民俗芸能、郷土文化等にひろく活躍しており、文化活動全般に貢献している。
 
第24回(昭和53年度)
 
小峰柳村(こみね・りゅうそん)

《山形市》
 明治31年生まれ。永年にわたり学校教育に従事するかたわら書道の研さんにはげみ、墨華会を創立して自ら主宰し、会誌「墨華」を刊行して数多くの書道愛好者の育成指導と本県書道界の発展に貢献している。
 昭和9年以来24年間にわたって学校教育(書道)にあたり、地方における教育の向上に貢献した。
 書道の研さんと教育活動を行う場として「墨華会」を創立して自ら主宰し、以来30年間活動を展開している。
 会誌「墨華」を刊行し、会員数は全国に及び数千名を数え、活発な活動を展開しており、書道をもって広く世に貢献された。

奈良村正史(ならむら・まさし)

《上山市》
 明治33年生まれ。本県油絵界の先駆者として活躍し永年にわたり洋画界の発展に尽力しているほか、後継者の養成と本県画壇の振興発展に貢献している。
 椿貞雄に師事し、油絵の基本的な画法を修得、画風は堅実で現代人の模範となるものをもっている。
 本県における油絵界の草分けの人であり、長い画歴と画風を通して、郷土の後進に与えた影響は非常に大きいものがある。
 大正時代に小塚義一郎、為本自治雄、今泉篤男らと、美術グループ「毒地社」を結成し、これが県美展の原流となった。
 県美術連盟の発足当初より世話役として、後進の指導にあたり地方文化の向上に貢献した。

山形交響楽団
(やまがたこうきょうがくだん)
代表者 常任指揮者
村川千秋

《山形市》
 昭和47年1月村川千秋氏のよびかけにより、東北初のオーケストラとして発足し演奏活動は東北六県及び新潟県の広域に拡大し、音楽を通じて地方文化の振興に大きく寄与し、東北のプロオーケストラとしての地位を確立している。
 昭和47年1月山形交響楽団結成以来、精力的に活動を行い、日頃生の音楽を鑑賞する機会に恵まれない地方の児童生徒に対し、移動音楽教室を開催して情操教育の向上に貢献した。その後、逐次活動領域を拡大し、東北六県並びに新潟県で、数多くの演奏活動を行い、東北のプロオーケストラとしての地位を確立した。
 昭和52年には、定期演奏4回、巡回演奏1回、移動音楽教室160回、一般演奏55回を行い音楽芸術に対する理解を深め、音楽を通じて地方文化の振興に大きく寄与した。

志田 勇(しだ・いさむ)

《山形市》
 明治44年生まれ。地球物理学の権威者として、県内の地下水問題、自然災害、火山活動等の幅広い応用分野において研究業績をあげているほか、山形県自然環境保全審議会委員等の要職にあって地域行政の推進に多大の貢献をなしている。
主な研究業績
<地下水の研究>
 20数年来地下水の実態と推移を研究し、都市部における地下水位の異常低下並びに地盤沈下等の原因を究明し、地下水の利用と保全に関する対策調査を実施した。また、数年来、全県的に地下水予測と利用に対する見通しについて研究中である。
<温泉の研究>
 山形県下の主要温泉地域について、調査グループの一員として、温泉の実態を調査し、温泉源の開発と保全に対する研究資料を提供してきた。
<水質汚濁に関する研究>
 最上川本支流に関する水質汚濁の実態とその機構を究明し、とくに山形市の生活排水については長年重点的に研究を行ってきた。
<火山の研究>
 蔵王火山の火山活動の推移を研究し、また蔵王火山、吾妻火山に起因する自然酸性毒水が最上川の水質に及ぼす影響を解明した。
 大蔵村山崩れについて研究グループの一員として、その実態と原因の究明にあたった。
<土地の脈動に関する研究>
 土地の脈動(海の波による土地の微動)を、主として庄内平野で行い、脈動の性質を用いた地盤の強弱の判定法を確立した。また、人間活動に由来して絶えず現れている常時微動と地盤との関係を研究し、県下各地域における地盤の強弱を判定し、建造物構築の基礎資料を作成した。
<地方行政に対する寄与>
 温泉、水資源、自然環境、産業廃棄物、土地利用、総合開発等に関する山形県および山形市の各種審議会に関係し、地方自治体の行政の基礎造りに関する役割の一端を果たしている。
 
第25回(昭和54年度)
 
今井繁三郎
(いまい・しげさぶろう)

《羽黒町》
 明治43年生まれ。すぐれた個性をもって美術の創作に生涯をかたむけている洋画家で多年にわたる美術の創作活動を通じて地方文化の資質を高め、戦後郷里において美術界新メンバーとともに新しい展開の基礎をきづいた。
 県内のみならず全国的規模での各種展覧会に数多く出品するなど意欲的に活躍したほか、海外にも長期にわたり滞在し創作活動を展開している。
 大正13年創設にかかる長い歴史をもつ美術団体、白甕社委員長として熱心に後進の指導育成にあたり、地域社会の美術界の発展向上にたゆまぬ貢献をしている。

下平才次(しもだいら・さいじ)

《米沢市》
 明治35年生まれ。上杉文書をはじめ、米沢に残る貴重な古文書を通じ郷土の歴史を正しく解明するとともに、歴史的文献の体系的整備など、郷土文化の向上に寄与している。
 米沢古文書研究会会長として古文書の解読と後進の指導育成に尽力するとともに、「百人一首抄」の復刻を行った。
 米沢市文化財保護委員会委員長、置賜史談会の副会長として郷土史の探究編さんに専念し、史籍、史談を広く紹介した。
 主な著書
  「上杉文書目録解題」「米沢藩戊辰戦役関係資料及び戦役の概要」「米沢の文化財」「直江兼継に関する主な遺跡」「笹野観音の仏像仏具について」「小国目安について」

宮本忠孝(みやもと・ただたか)

《河北町》
 明治36年生まれ。開業医のかたわら、郷土芸能、民俗、風習等、県内の庶民文化の調査研究に活躍し、郷土文化の保存継承に尽力している。
 青少年健全育成、家庭教育、社会教育の面でも広域的に活動され、著書も多く、ラジオドクターや人生相談など広く県民に親しまれている。
 主な著書
  「人間石原莞璽片々録」「灰ばばと七つのはなし」「逆索引山形方言集」「八月十五日をめぐる人々」「はなかみ先生行状記」
 
第26回(昭和55年度)
 
秋澤 猛(あきざわ・たけし)

《酒田市》
 明治39年生まれ。昭和初期頃から俳句をはじめ「ホトトギス」「馬酔木」に投句し、昭和27年秋元不死男の「氷海」に入会、29年に同人となって活躍し、53年「氷海」廃刊とともに鷹羽狩行の「狩」幹部同人となって現在に至る。昭和39年句集「寒雀」、同じく53年「海猫」を出版し、俳壇の注目をあつめた。
 社団法人俳人協会の会員をへて現在評議員(本県では1人)として選任委嘱され全国俳壇に貢献し、本県においては、53年山形県俳人協会設立とともに会長に就任し、また山形新聞俳壇選者、句誌「氷壁」主宰(現在80号をかさねる)など、幅広い活動をし、俳句の普及に貢献した。
 「物につき物を離れる」を句作の目標にし、庄内を中心として県内広く句会の育成指導にあたっている。

志遊会(しゆうかい)
代表者 
会長 石沢煌峰 

《米沢市》
 昭和20年石沢煌峰氏が米沢市内の高校生及び一般人に呼びかけ「書道を愛する会」として結成し、その後会員の増加に伴い、昭和41年「志遊会」として発足し同市最大の書道団体として活動している。
 現在会員53名で米沢市内在住者を主体に組織され、毎週日曜日及び月例の研究会を開催し、後進の育成指導を行っており、芸術性を求めるだけでなく、教育性を重んじ、児童・生徒を多数指導しており、その功績は高く評価されている。
 会員は全国的規模の書道展に積極的に出品し多くの入選等の実績を有し、会長の石沢氏は毎日書道展審査員、他に石川大濤、大田清柳、真木恵風の三氏は同展の委嘱作家であるなど、すぐれた指導者のもとに後進の育成にあたり、地域文化の向上に寄与している。

齊藤次郎(さいとう・じろう)

《山形市》
 明治40年生まれ。永年にわたり山形大学教育学部教授等として音楽教育の研究と実践に専念し、多くの論文と著書を発表するとともに子弟の育成にあたり、さらに昭和28年山形大学教育学部に特別教科(音楽)教育養成課程の設置に尽力し、そのカリキュラムは独自のものを編成し実践され、高い評価を得ている。
 山形県の音楽文化振興を目指して昭和24年「山形県合唱連盟」を結成し長くその理事長として、また昭和33年「山形市民合同音楽祭」を発足させ長くその実行委員として、合唱団活動の育成と技能向上に貢献し、もって広く県民に音楽の浸透を図った。
 県民会館及び山形市民会館の運営委員として貴重な助言と意見を呈し地域文化の振興と発展に寄与している。
 
第27回(昭和56年度)
 
齋藤(さいとう・れいすけ)

《山形市》
 明治38年生まれ。本県文学運動及び文学者の業績に精進し、人物、雑誌、同人誌の類を調査研究し、常に公平な批評を行なうとともに数多くの文学作品の創造にあたり、幅広い文化活動を展開している。山形県芸術文化会議常務理事を務めている。
 詩集「過ぎし日のうた」「物語山形県文壇史」等の好著のほか、戦前発行された農民文学誌「犀」の復刻を独力で完成するなど地方文化の向上に対する功績は高く評価されている。

菊地正直(きくち・まさなお)

《山形市》
 大正14年生まれ。幼少の頃より厳しい教育を受け、鉄瓶、茶の湯釜の製作に日夜研鑚を重ねる。昭和26年より人間国宝長野垤志氏と共に、日本古来の砂鉄を使用しての砂鉄釜の研究を始め、以来15年間の長い年月をかけ砂鉄釜の製作に成功を納めた。現在、三代目菊地熊治を襲名している。
 昭和33年初入選以来、日本伝統工芸展入選18回、同特選2回を受け、また、全国各地で個展を開くなど、幅広い活動を展開しており、本年6月より全国伝統的工芸品審議会委員として活躍している。
 山形鋳物工芸協同組合理事長、山形県鋳物協同組合専務理事の要職にあって、業界の指導育成に貢献しており、とりわけ、山形茶の湯釜、鉄瓶の普及発展に尽した功績は大である。

劇団 北(げきだんきた)
代表者 高子 実 

《山形市》
 昭和38年、山形市に新しい狼火をあげようと劇団「北」を結成し、「生活にはじまり、演劇創造を通して、再び生活にかえる」をスローガンに、古今の名作、山形という地域に素材を求めた創作劇、大公演の合間を縫っての小劇場の三つの路線を歩んできた。現在まで55回の公演をし、県内で最も優れた演劇活動を続けており、本県の演劇振興・普及に大きく貢献している。
 県の委嘱を受けての県民移動芸術劇場の県内巡回公演、県民芸術祭演劇部門公演、自主企画による無料移動公演や慰問公演、ラジオドラマやテレビ番組への出演、他文化団体との合同創作等、多面的な活動を続けている。
 昭和45年度初の県芸術祭賞を、また昭和54年度には県民芸術祭奨励賞を受賞している。
 
第28回(昭和57年度)
 
欅墨書院(こぼくしょいん)
代表者
会長 植松弘祥

《東根市》
 昭和35年植松弘祥氏を中心とする長瀞青年団のサークル活動であった書道愛好会のメンバーを会員(30名程度)として結成された。
 現在会員約4,000余名を数える全国的規模の団体にまで発展しているが、この会の特徴は、隔月行われている「錬成会」と称する研修会である。
 会員が一堂に会し、昼夜を通し書を書きとおすという研修方法である。これは、書そのものの技術の向上もさることながら、青少年の精神的な鍛練という教育的な面を重視し、育成指導にあたっているためである。
 昭和35年から毎年欅墨書院展を開催し、出品数、規模において全国的に評価されている。
 斯道の権威ある毎日書道展には毎年多数の出品をし、特選をはじめ秀逸賞など多くの入賞者を出しているなど、本県書道界の発展に多大の貢献をしている。

髙坂知甫(たかさか・ともすけ)

《山形市》
 明治40年生まれ。昭和28年、山形フィルハーモニーオーケストラ(現在の山形フィルハーモニー交響楽団)を創設し、団長となり、以来30年団員数約80名の大編成のアマチュア管弦楽団に発展させた。
 自ら指揮台に立ちながら自主活動として定期演奏会のほか、各種コンサートを、また、参加活動として県民芸術祭、山形市民合同音楽祭に出演する等、県民の音楽文化に対する理解と関心を深めることに貢献した。
 ロシア人を師に持つ有能なチェリストであり、門下生も多く、後輩の指導育成に尽力している。

鈴木庄一郎
(すずき・しょういちろう)

《山形市》
 明治43年生まれ。海産生物相の研究は、従前太平洋沿岸に偏していたが、半世紀にわたって庄内浜における海産生物、特に無脊椎動物の実態を解明し、「山形県海産無脊椎動物」として集大成し、学問的に貴重な貢献をした。
 原生動物、特に繊毛虫類に属するブレファリスマの細胞学的および形態形成学的研究に専念し、本県より発見した新種を使用し、この生物の体制や器官形成に関する諸問題を解明し、国際的にも高く評価された。
 山形大学教育学部長等として、教員の育成に情熱を注ぎ、又臨海実習や教材研究を通して、理科教育の向上に精根を傾け、教育界、特に本県教育界に対する貢献ははかり知れないものがある。
 
第29回(昭和58年度)
 
高橋華専(たかはし・かせん)

《山形市》
 明治37年生まれ。22歳で華道家元池坊に入門、以来半世紀華道一筋に専念し、昭和49年には同門最高職「総華督」を授与された。この間、県内各地の婦人会、青年団、女子高校、芸術学園等の講師として多くの門弟養成に尽力した。さらに昭和50年「池坊立華挿方基本草案」を出版するなど、県華道界の進歩発展に尽力した。
 昭和21年池坊山形支部創立に参画し、以来幹事・支部長等を歴任するとともに、池坊華道会本部の理事・顧問も努め、斯道の発展に尽している。
 県芸術文化会議には当初から参加し、永らく華道部門の常任理事として活躍するとともに、昭和58年、県内華道17派すべてを集結した「山形県華道文化協会」の発足に尽力、初代の会長に就任しており、地域文化の発展に貢献している。

川村吉弥(かわむら・きちや)

《長井市》
 明治40年生まれ。俳文学の研さんを積み、俳人服部嵐雪の高弟、和田東潮の事蹟を発掘するなど、化政時代から幕末、明治初期に興隆した置賜の俳壇研究に道を拓いた。
 藩政時代の郷土における地域史や産業史に取り組み、「平野村郷土史」、「長井紬の歴史」等の研究資料を著した。
 長井古文書研究会や長井市郷土史会の育成発展に努め、文化財保護の啓蒙に尽力している。

篠田秀男(しのだ・ひでお)

《山形市》
 明治34年生まれ。地域医療活動に携わる傍ら、国際語エスペラント語を独習し、昭和22年に山形エスペラントクラブ(JEK)を創立して会長となり普及に努める一方、医学にも積極的に応用し、かつ、エスペラント医学国際誌の編集と寄稿にも努めている。さらに、永年の活動による実績が認められ、万国医学エスペラント協会名誉会員、万国エスペラント協会名誉会員の称号が授与されている。
 また、昭和30年の欧米歴訪の際16か国で日本文化、特に郷土の「紅花」についてエスペラント語による文化講演を行い、日本文化の紹介に努めた。
 昭和34年「ティーデマン賞委員会」を結成し、その委員長となり、日独文化に関する優秀な論文を書いた「ふすま同窓会」の会員(旧制山高並びに山大人文・理学部の同窓会員)に対して「ティーデマン賞」を授与している。
 
第30回(昭和59年度)
 
芳賀秀次郎(はが・ひでじろう)

《山形市》
 大正4年生まれ。教職に従事する一方、詩作者として、特に新国民歌の入選以来顕著な活動を続けており、現在は、日本現代詩人会の会員として県詩壇の中核的役割を果している。
 詩作者としての高い評価故に、県内学校の校歌の作詩を依頼されることも多く、これを通して児童・生徒の志気の高揚と学校教育のために貢献している。
 さらに詩作者としてばかりでなく、実証的研究によって作品を鑑賞するという態度を貫く研究者として、他の追従を許さないものがある。
 主な著作
  齋藤茂吉歌集「白き山研究」、評論「体操詩集の世界一村野四郎」詩集「蔵王紀行」「出羽国抒情」「風鈴について」「齋藤茂吉研究」「ことばと文章」「現代国語の読解指導」

小松恒太郎
(こまつ・つねたろう)


《山形市》
 明治43年生まれ。昭和21年、山形県美術連盟(当時山形美術家協会)発足当時からの委員を務め、同38年から運営委員長に就任し、現在まで同連盟主催の県美展の企画・運営に尽力している。さらに、山形県造形教育連盟参与、山形市民美術展実行委員長として、地域社会の芸術文化の振興に寄与している。
 昭和13年の第8回独立美術展に入選以来、毎回出品、会友になるとともに、昭和47年創元会に移り以後創元会運営委員として、さらには各種展覧会に出品、数多く入選するなど、県洋画界のみならず中央画壇においても活躍している。
 昭和23年以降、冬の蔵王を主に20回の個展を開くとともに、美術教室、美術サークルを主宰し、後輩の指導育成に当たるなど幅広い活動を続けている。

徳永幾久(とくなが・きく)

《山形市》
 大正8年生まれ。山形県の被服、殊に刺子の研究家で、本県独特の刺し技法を発見、本県女性の生活文化の価値を全国に紹介した。特に米沢藩の花雑巾、山形紅花商人の刺し風呂敷の研究は全国的な刺子研究の端緒となった。
 さらに、上山市小倉に保存される歌舞伎衣装及び本県独特の紅花衣装の中に「生命の樹」のデザインを発見し、インド更紗文様の伝承であることを解明したことは、専門家からユニークな見解として評価されている。
 これらの研究は、オリエント、中国、シルクロード等の実地踏査による資料によって裏付けられており、学問的に高く評価されている。

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