特集記事

特集No.5「羽越しな布」山里あげて。
歴史ストーリー
木の皮の繊維による日本最古の織物は
山里で守られてきた自然との共存文化です
日本海から16kmほどの山間にある戸数50に満たない小集落、
鶴岡市関川に伝えられてきた、しな織りの歴史を探ります。
しな織りの起源について
山野にする草木の繊維を使った織物は、縄文や弥生時代から日本各地で作られてきましたが、関川のしな織りの発祥ははっきりしていません。ただ、沖縄の芭蕉布、静岡の葛布とともに、しな織りが「三大古代織」に数えられていること、そして村の家々に残された織機が中国から伝来した時代のはたおり機と変わらないことなどから、相当古い起源であることが推測されています。
原料は、周辺に生育するシナノキ
集落の周辺には良質のシナノキが多く植生します。シナノキは伐採しても15~20年ほどで成木となるため、また伐採し、しな織りの原料にします。こうしたサイクルで長年自家生産が行われてきました。
シナノキの写真
シナノキの樹皮は繊維が強く、アイヌの織物の主要な原料の一つだったともいわれています。

雪深い山里の暮らしの中で
かつて関川ではどの家庭でも、春から初秋の農作業の合間にシナノキの皮を採って準備し、雪が降ると女性たちがしな織りをしました。翌春に仕上がった「しな布」は、家庭用に利用したり、買い付け業者(荒物屋)に販売して副収入源にしていました。
時代の変化が訪れた時
昭和40(1965)年代に入ると、化学繊維製品の流通とともに「しな布」の需要も減ります。危機感を感じた村人と業者は、連携してしな布を民芸品に加工して販売することを始めました。従来どおり原料の採取から織りまでを各家で行い、加工と販売を業者がするという方法です。こうして関川のしな織りは、転換期を乗り越えることができました。
しな織りの歴史展示品
「しな織センター」には、藁布団や酒漉袋、米袋など、戦前に暮らしの中で使われていた、しな布用品が展示されています。

現在の産地の様子
しな織りを通して結ばれている
関川集落の地域コミュニティ
昔ながらの山里生活が今なお残る関川で、
各家庭と「しな織センター」が連携しながら、しな布の生産を続けています。
「しな織センター」の発足
昭和60(1985)年、時代の移り代わりを経ても変わらず営まれてきたしな織りを、村おこしの鍵にしようと考えた村人たちは、「しな織センター」を集落内に建立。運営主体の「関川しな織協同組合」には、集落の全家庭が加盟し、原料採取から糸づくりまでを各家で、その後の織りと商品加工をセンターでという、集落あげての分業スタイルを開始しました。
全国から訪れる「ぬくもり館」
さらに平成12年には、加工した商品を販売する「ぬくもり館」をセンターに併設して建立。年間およそ10,000人が全国各地から訪れるようになりました。公民館機能も合わせもつ「しな織センター」は、地域の中心機関として集落の絆をつないでいます。
関川集落の写真
現在は全戸数が43という関川集落。
一番近い越沢集落でも4kmの距離があるという全くの山間地帯です。


 

 

 
特集No.5「羽越しな布」山里あげて。
製造工程
関川のしな布は、四季の移り変わりとともに
時間と手間をかけて丁寧に作られます
仕上がりまでの時間と手間の多さから、生産数が限られる
しな布は、古代からの方法をそのまま受け継いだ作り方です。
原料の採取から糸づくりまで(各家庭での作業)
①シナノキの皮が剥がれる6月中旬から7月上旬の梅雨時期に、伐採して皮を剥ぎ、さらに内側の皮のみを取り出して十分に日光で乾燥させ、屋根裏部屋などにしまっておきます。この作業は力仕事のため、男性が主に行います。
②8~9月、乾燥したしな皮を一昼夜池や川につけ、やわらかくします。大釜を赤土で作った大きなかまどにのせ、釜に入るサイズに巻いた皮を入れ、木灰(あく)、水で約10~12時間煮ます。
③十分にやわらかくなった「しな」をさっと水洗いして、皮の層を一枚ずつはがしていきます(へぐれたて)。さらに糸となる繊維部分を取り出すため、川に浸けながら石や竹棒で「こいて」いきます。
④繊維状になったしなを大きな桶に入れ、こぬかと水で2昼夜浸け込んだ後、川できれいにぬかをとったら、軒先などにつるして乾燥させておきます。
⑤雪が降り始める12月頃になったら、しなに湿り気をあたえながら、指先で細く裂き、糸の状態にします(しなさき)。
⑥裂いた糸状のしなを織り糸にするために、太さを調整しながら長くつなぎ(しなうみ)、次の作業がしやすいように玉状にまとめます(へそかき)。
織り、商品加工まで(しな織センターでの作業)
⑦「へそかき」をさらに状態のよい強い糸にするために、しな織センターで糸車を使って撚りをかけます(しなより)。ここまでが糸づくりです。
⑧できた糸を機にかける準備をします。まず「へば」という台を使って縦糸を準備し、「くだ」という道具で横糸を準備します。
⑨縦糸と横糸をセットし、昔からの「いざり機」や改良された「高はた」でしな布を織ります。反物として販売するものはこの段階で作業終了。クラフト商品として販売するものは、この後、センターで商品加工をします。
しな皮の写真
工程① 伐採し、乾燥させた内側のしな皮
しなうみ作業の写真
工程⑥「しなうみ」は熟練技がいる一番の難所
織り作業の写真
工程⑨ 昔ながらの機で織る

作り手に聞く
村あげての生産体制
だから、しな織りは村そのものなんです
「関川しな織協同組合」組合長の五十嵐勇喜さんに、
しな織りと関川集落について、お話を伺いました。
関川の協力体制について
五十嵐さんは若い時から関川の自治体活動に励み、センターの立ち上げにも関わってきました。集落内の全戸が組合に加盟したのもこの時です。組合はさっそく各家庭の織り機をセンターに集め、村人と共同生産を始めました。この協力体制は、25年近く経った今も変わらず続いています。「関川は、何かしようという話になれば村中がみんな協力してくれる、とてもまとまりのよいところです。その点がありがたいことです」と五十嵐さん。実際、全国各地で農村の過疎化が進むなか、関川は戸数が48から43と余り減少しておらず、若者たちも多いため子どもの出生率も高いといいます。「だから、木の皮を取る男手については心配していません。でも現在糸づくりができる女性が33名いるのですが皆さん高齢になってしまって、それが課題なのです」。
研修生たちの作業風景
研修生は、住居と手当を支給してもらいながら2年間技術を学びます。現在の研修生は2名。埼玉県と福島県からやってきました。

作り手の育成について
かつて関川の女性は誰でも、嫁入り前に技術を身につけていました。しかし今は他から嫁いだ人がほとんどのため、仕事と育児に追われ、しな織りを覚える機会がありません。「でも歳をとった時にしな織りを始めれば生きがいになるし、家庭や地域との関係もよくなります。いずれ手が空いた時、自然と気持ちがこちらに向くように、今後もこの産業をうまく継続していきたいものです」。
しな織り研修生制度
組合では公募型の研修生制度も平成7年から行っています。今まで研修生が絶えることはありませんでした。「課題は、研修生をどうやって村に残すかです。希望があっても経済的な部分で叶えてあげられない現状なもので」。しな織りは村そのものだという五十嵐さん。関川の絆は、強靭なしな糸のように今後も固く結ばれることでしょう。
五十嵐勇喜さんの写真
「関川しな織協同組合」組合長の五十嵐勇喜さん。

作品ギャラリー
ナチュラルな色合いと、凛とした風合いは
工芸品としても高い評価を受けています
名刺入れやバックから、帽子や帯、のれんまで、
しな布はさまざまに加工され、商品として販売されています。

現在、しな布の商品は「しな織センター」で加工販売されるものと、布の状態で個人や業者がセンターから購入し、それぞれに商品加工して販売するものの2タイプがあり、センター併設の「ぬくもり館」でほとんどの商品を展示販売しています。工芸品としての高い評価から、平成17年には新潟県山北町で生産されるしな布と共に「羽越しな布」として国の伝統的工芸品指定を受けました。翌18年には帽子(鶴岡市の科布工房「シャポーすだ」製作)が山形セレクションに、20年には「生成り帯」「縞入り帯」「手もじり袋織帯」の3種(関川しな織協同組合製作)が同じく山形セレクションに選ばれています。





 

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