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開館30周年 土門拳記念館



いま、山形から・・・ 山形漫歩 開館30周年 土門拳記念館

 酒田市の市街地から南西へ約4km。山形県の母なる川「最上川」が日本海に注ぐ手前、左岸に位置する飯森山公園の中に、日本最初の写真専門の美術館である「土門拳記念館」があります。土門拳記念館は、今年(平成25年)10月で開館30周年を迎えました。

写真家 土門拳
古寺巡礼 とっておきセレクション。今年(平成25年)、新しく光沢のあるタイプでプリント。

 土門拳は、明治42(1909)年、山形県酒田市に生まれ、6歳まで過ごしました。生まれ故郷のことを昭和51(1976)年に書いたエッセイ「ぼく」の中で「冬は低く垂れこめて晴れる間もない雪空と日本海の鉛色の海の白い波がしら、桃もすもも も桜も一時に目の覚めたように咲き出す春、夏の紺碧の空にくっきりと残雪光る鳥海山、この北方的な自然に抱かれて、結晶(土門自身のこと)はすこやかに成長した。」と記しています。写真家としてだけではなく、絵、書とさまざまな才能の持ち主であった土門拳は、文章の巧みさも魅力の一つです。家は貧しく、「父母が出稼ぎに行っている間、祖父母の下で育てられた。祖父母の家も貧しく、孤独な寂しい幼時であった。(中略)しかし、外へ出れば、町の人を閉口させる餓鬼大将であった。」とも書いています。

主要展示室。静かに作品を鑑賞できる落ち着いた展示空間。自然光をさえぎり、ゆったりと作品を見学できるように心がけている。

 大正5(1916)年の春、土門が満6歳の時、一家は生活の打開をはかるために上京しました。その後、横浜に転居します。中学生の時の将来の志望は「画家」でしたが、19歳の頃に絵の才能に絶望し、画家になる夢を断念しました。その後、常磐津三味線弾きの内弟子、弁護士書生などを経験。農民運動組合運動に参加して検挙拘留されたり、自殺を真剣に考えた時期もあったようです。絵筆を折ってからの「 暗澹あんたんたる絶望的な日々」に写真家としてのきっかけを与えたのが、母の「お前写真をやる気はないか。昔絵ごころがあったから案外よくはないかしら」との言葉でした。それまで、写真のことなどまったく知らなかった土門が写真家となるきっかけとなりました。

 営業写真館の門生となってからは、夜、寝床に入ってから、寝る時間を惜しんで写真の勉強をします。2年あまりの間に、写真関係の雑誌と単行本をおよそ500冊は読み終えたといい、この時のことを土門は「寝床大学」と記しています。

土門拳の作品がマンネリ化しないように、新鮮な企画の工夫につとめていると語る大竹さん。

 営業写真館での生活の中、土門は、次第に報道写真に魅かれていくようになり、仕事の合間に独学で写真を学んでいきました。師匠は、土門が報道写真家になるために写真館を辞めることをどうしても許してくれず、報道写真専門の通信社に入社が決まった土門は、夜逃げならず、朝、無断で外出したきり戻らないという朝逃げを決行し、報道写真家としての道を歩みはじめました。

 土門拳について、公益財団法人土門拳記念館総務主査の大竹佳代子さんは、「土門拳という人は、いろんなジャンルをそれぞれ集中して撮っているんですね。普通、写真家の人は、報道写真なら報道写真、人物なら人物、風景なら風景という人が多いようですが、土門さんは、ドキュメンタリー的なものも撮るし、文楽、古寺巡礼のような文化的なジャンルも撮っています。しかしそれは、彼の中では一貫して、日本人の真実と心を撮る、ということでした。」と話します。


 

故郷酒田の名誉市民第1号に
昭和45年頃。2度目の脳出血で倒れた数年後、リハビリで病を克服し、左手で書いた渾身の書。

 土門は、昭和32(1957)年5月、7歳で故郷酒田を後にしてから実に41年ぶりに、「婦人画報」の企画で酒田を訪れ、日枝神社の例大祭「酒田山王祭り」を撮影します。家は見つからなかったものの、近所のお年寄りに尋ねたところ「おめだがや(お前か)、あの鼻たれの、きがね小僧っこは(きかん坊は)」と覚えていたそうです。すでに家も何も残っていない酒田でしたが、このお年寄りに出会い、そして、この撮影を機に土門と酒田との結びつきがぐっと深まったといいます。

 昭和49(1974)年、土門は酒田市名誉市民第1号になります。大竹さんは「市民の中から土門さんを名誉市民第1号に推挙しようという運動が起こり名誉市民になったという経緯があって、それを土門さんがすごくうれしく思ったんだそうです。縁が薄いと思っていた酒田なんだけど、故郷の人が温かく迎えてくれた。故郷はいいものだとしみじみ思ったそうです」と言います。そして、名誉市民第1号になった顕彰式の席上で突然、約7万点ある自分の全作品を郷里酒田市に寄贈したいと申し出ました。突然の申し出に周囲の関係者も、ただ驚くばかりだったといいます。

 酒田市は、土門の素晴らしい申し出を受け、作品を展示、管理していくための施設として「土門拳記念館」を建設することにしました。


 

人々の想いで完成した記念館

 土門は、80年の生涯の間で、50歳、59歳、70歳の時と、3回倒れています。50歳の時は、軽い脳出血の後遺症がありながらも、「古寺巡礼」の写真を本格的に開始しました。2度目の脳出血で倒れた59歳の時は、リハビリとして左手でスケッチをするなど、各種のリハビリに励み、以後、車椅子での撮影を続けます。

 
上:中庭にあるイサム・ノグチ氏の彫刻作品、土門拳を象徴した「土門さん」。
下:5つの連段とそこを流れる水は、時の流れを感じさせるもので、その中に土門拳を力強く表現した。

 そして、3度目、70歳で脳血栓で倒れてからは意識不明となり、そのまま11年間もの入院生活を送ります。周囲の人々は、そうした土門のために、記念館建設に向けて一層力を注ぎました。

 記念館の設計者には、土門自身が、著名な建築家であり友人でもあった谷口吉郎よしろう氏を望んでいましたが、依頼する直前に急逝してしまったため、建築家としては新進気鋭の子息である吉生よしお氏に依頼しました。吉生氏は、すでに意識のない状況の土門と会うことはなかったのですが、何度も酒田を訪れ、ほとんど全ての写真作品に目を通し、土門についての話や記念館に対する希望を聞きながら設計していきました。そして、外部は、敷地周辺の美しい自然との関わりを第一として、内部は、土門の作品のテーマと表現に適合するように、過剰な意匠を避け、シンプルな設計をすることで、作品の印象だけが強められるように意図しました。

企画展示室II前の庭園は、草月流家元の勅使河原宏氏作「流れ」。建物が直線でできているため、曲線を配置し、自然の飯森山や背景を大切にして自然を生かした庭になっている。

 さらに、吉生氏は、土門と親しい彫刻家のイサム・ノグチ氏に中庭の設計参画を依頼しました。当時、世界的な彫刻家であったノグチ氏は、中庭の彫刻「土門さん」などを寄贈しました。また、土門と兄弟のように親交が深かったグラフィックデザイナーの 亀倉雄策かめくらゆうさく 氏には、「土門拳記念館」のブロンズの銘板などのデザインを、同じく親交が深かった華道草月流初代家元の 勅使河原蒼風てしがわらそうふう氏の子息である宏氏には、庭園の作庭を依頼しました。

 また、記念館建設のために、全国から約1億円もの寄付が集りました。こうして、人間土門拳と作品を愛する人々の想いで、昭和58(1983)年10月、「土門拳記念館」は開館を迎えます。土門拳74歳、残念ながら意識が戻ることはなく、平成2(1990)年、80歳でこの世を去りました。

 この土門拳記念館の設計により、谷口吉生氏は優れた建築作品に贈られる第9回吉田五十八賞および日本芸術院賞を受賞しました。


 

土門拳記念館 開館30周年

 記念館には、3つの展示スペースがあります。開館以来、土門のさまざまなジャンルの作品や土門拳賞などゆかりの賞の作品などを3、4ケ月に一度入れ替えながら展示しています。

展示室の静かなところから明るい記念室へ行くようになっている。窓は記念室に向かいながらだんだん広くなっていき、中庭や池が眺められるようになっている。

 今年(平成25)年は、開館30周年を記念して、土門の代表作で企画されています。12月15日までは、土門のライフワークとして一番知名度もある「古寺巡礼」より「とっておきセレクション」と「出会いの結実(「女優と文化財」より)」が展示されています。

土門拳著「ぼくと酒田」(右)。昭和51年 みちのく豆本「ぼく」と、その他を加えて平成22年に復刻増補版として発行された。文章と酒田の写真が豊富。記念館のショップとHPからも購入できる。また、 谷口吉生が書いた文章入りの「建築概要」(左)も受付でもらうことができる。

 「古寺巡礼」については、「古寺巡礼 第1集」が刊行された昭和38(1963)年から50周年にあたることから、「全国100ケ所以上のお寺を撮影した、多々ある作品数の中から、代表作の中の代表作といわれるような、選りすぐりのものをお見せしています」と大竹さん。しかも、今年(平成25年)、新しく光沢のあるタイプでプリントされ、額なしで展示されていますので、さらに迫力が感じられます。

 土門拳は、鬼の土門、不屈の土門といわれ、これだというものに突き進んで、決して妥協しない写真家でした。土門の魅力は、「見る深さ」にあると大竹さんは言います。人があきれるくらい集中して、見て見て見て見て、そして、撮ったといいます。

土門拳記念室。白鳥池に面した記念室からは、公園内の美しい風景と秀麗鳥海山を望むことができる。冬になると白鳥が飛来することもある。

また、土門は、弟子に対しても撮影中は厳しく、時にはげんこつが飛ぶこともあったそうですが、撮影が終わればとても優しく、意外にさびしがりやの一面もあったといわれています。人間味溢れる写真家だったともいえるのではないでしょうか。

 土門拳記念館で土門拳の作品と人としての魅力を感じてみませんか。白鳥池に浮かぶように建つ記念館は、周りを散策して楽しむことも出来ます。土門拳の愛した故郷、酒田の四季折々に美しい風景と一体となった土門拳記念館に、ぜひ、いらしてください。


 

取材協力・お問合せ

酒田市写真展示館 公益財団法人土門拳記念館
山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内) tel・fax 0234-31-0028


 


 

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