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織田信長を祀る 建勲神社

いま、山形から・・・ 山形漫歩 織田信長を祀る「建勲神社」

 戦国時代、天下統一へと導いた尾張(愛知県)の武将、織田信長。信長は、天正10(1582)年におきた本能寺の変により49歳でこの世を去ったことは、日本史上有名な史実です。では、愛知県より遠く離れた山形県天童市に信長の血筋を受け継いだ「天童織田藩」があったこと、そして、信長を神と祀る神社があることをご存じでしょうか?

 

天童織田藩の歴史
信長に最も似ていると伝わる肖像画(写真)。三寳寺 仰徳殿に飾られている。複製は建勲神社神殿にもある。

 戦乱の世となっていた戦国時代の日本の天下統一をめざした織田信長。しかし、家臣、明智光秀による本能寺の変で自害という形で幕が降りました。信長の嫡男ちゃくなん 信忠も知らせを受け出陣しましたが、結果的には自害。やがて嫡孫ちゃくそんの秀信も亡くなり、嫡流ちゃくりゅうは途絶えましたが、信長の血縁で江戸時代を生き延び、明治維新を迎えた織田家が四家あります。その中のひとつ、信長の次男、信雄のぶかつの子孫が「天童織田家」です。※嫡男:正室の生んだ年長の男子、嫡孫:嫡男の嫡男、嫡流:嫡男の家計である血筋。

5月3日の建勲神社大例祭でお目見えする甲冑。

 信長亡き後の世の流れは豊臣・徳川へと移り変わり、織田家は尾張・下野しもつけ(栃木)・大和(奈良)・上野こうずけ(群馬)と国替えさせられました。その後、9代目信浮のぶちかが、上野国小幡こうずけのくにおばたから出羽国(山形)高畠たかはたへ国替えされ、ここでようやく織田家と山形が繋がりました。10代目信美のぶかずの時に、高畠での生活が苦しかったため、天童で紅花を生産し経済を立て直そうと天童に入りました。当時、江戸時代の紅花は染料や化粧品として重宝され、「紅一もんめは金一匁(※一匁=3.75g)」と言われるほど高価なものでした。

宮司 鎌倉景昭さん。祈祷のほか、社務所にいらっしゃる時は、天童織田藩の歴史などの話を伺える。

しかし、織田家の生活はかなり厳しかったようです。

 生産量の大部分を占め日本一の将棋駒の生産地として知られる天童市。天童特産の将棋駒の製造も、織田藩の下級武士の救済策として始められたものです。

 信長と同じ時代に生きた家康から260余年続いた徳川幕府にも陰りがみえ、日本に新しい時代の風が吹き始めます。慶応4(1868)年、薩摩・長州・土佐藩などの新政府軍と旧徳川幕府軍および奥羽越列藩同盟が戦った戊辰戦争へと突入しました。庄内地方では徳川家譜代大名の酒井氏が治めており、小さな藩であった天童織田藩は、新政府軍と旧幕府軍の間で流れに翻弄される形となりました。新政府軍についた織田藩は、庄内藩から総攻撃を受けて敗退、家老の吉田大八は切腹という結末で終わります。そして、近代国家へと向かう明治時代の幕開けとなりました。

 

織田信長を祭神とする建勲神社
お神酒の赤ワイン。ご祈祷をした方はいただける。勝守、天下布武といった信長ゆかりのお守などもある。

 明治維新の際、天童織田藩は、官軍(新政府軍)に味方したこと、藩祖信長の功績を讃え、明治政府より信長に建勲神たけしいさおのかみの神号を賜り、建勲神社たけいさおじんじゃとして、明治3(1870)年に日本で最初に舞鶴山に祀られました。はじめ、「健織田社たけしおだのやしろ」だった名称を改め、「建勲神社」となりました。地域の方からは、「けんくんじんじゃ」とも呼ばれ親しまれています。

信長を祀る社殿内。

宮司の鎌倉さんは、「天皇から名前を賜り、神と祀られているのは、数多い武将の中でも織田信長公だけじゃないのかな」と話します。信長を御神祭とした建勲神社は、天童市のほか京都市北区船岡山と兵庫県丹波市にもあります。

 平成23年から信長の命日6月2日にあわせ、世の平安を願う「信長公祭」が開催されています。お神酒は、ポルトガル人宣教師が持ち込み、信長が好んだとされる赤ワイン「珍蛇酒ちんたしゅ」にちなみ、天童産赤ワインが神前に奉納されます。

 

天童つつじ公園
建勲神社境内地にある天童つつじ公園。樹齢200年の老松と1万本のつつじ。

 建勲神社のすぐ隣には、約1万本ものつつじが見事に咲き誇る、天童つつじ公園があります。つつじ公園は、天童織田藩の藩医の家柄に生まれた高橋英雄えいおさんが、アメリカから帰国後に、雑木林を切り開いてたくさんのつつじを植え、公園を整備したことから始まりました。その後、地域の青年会が500本のつつじを植樹し、たくさんの方が訪れる公園になりました。

 5月中旬に見頃を迎える色とりどりのつつじの花は、人々の心を癒してくれます。夜にはライトアップもされます。

 

信長公の肖像画
三寳寺 織田家御霊屋 仰徳殿

 建勲神社から車で5分ほどのところに、織田宗家の菩提寺、浄土宗 三寳寺さんぼうじがあります。文政13(1830)年に織田家御霊屋おたまや(御位牌堂)が造営されました。当時のものは戊辰戦争で焼失し、現在の御霊屋は昭和6(1931)年に元織田藩士族によって再建されたものです。

仰徳殿内

 御霊屋 仰徳殿こうとくでんの正面には、織田信長の肖像画の写真が飾られています。肖像画は、宣教師が描き、信長に最も似ているといわれているものです。それを明治の中頃、天童織田藩出身の宮中写真師が複写し、宮内庁、織田家にも納められましたが、現存するのは三寳寺だけになっています。仰徳殿には、信長をはじめ、歴代藩主の位牌も安置されています。

 

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取材協力・お問い合わせ
建勲神社 天童市城山1043 TEL.023-653-0289
浄土宗 三寳寺 天童市仲町一丁目2-5 TEL.023-653-2551

 

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