鳥中華

鰹の和風出汁(だし)に中太の縮れ麺、チャーシューの代わりに鶏肉。澄んだスープに天かすが浮かぶ「鳥中華」。2010年、食の専門家によるB級グルメコンテストで全国6位に選ば れ、全国のラーメンファンの間で話題になっています。 鳥中華の元祖は手打ちそばの名店「水車生そば」。これまで最も多い日には1日600杯を売り上げる人気メニューです。
もともとは店員のためのまかない食。30年ほど前に常連客がおいしそうだと食べはじめ、隠れメニューとして提供していました。転機となったのは高級グルメが花開いたバブル期。名 店のそばを求め、遠方からも多くの人が訪れました。
「うちのは固くて太い田舎そば。客足にすぐに影響することはなかったが、現代風の細く食べやすいそばが求められていのるではと悩んだ」と社長の矢萩長兵衛さん。カップラーメン で育った世代が増え、食文化が変化していることにも着目し、そば屋にしか作れないラーメンをと、現在のスタイルが決まりました。
文久元年(1861年)年創業という水車生そば。水車を回し、石臼でそばを粉にしていました。5代目の矢萩さん自身も、東根、尾花沢や大石田、北海道へそばの買い付けに足を運び、 打ち上がったそばを背負っては、五穀豊穣、商売繁盛などを祈願する恵比寿講などのふるまいそば作りに出掛けたそうです。先代が生そばの配達に使っていた箱の数え方の符丁(ひと板、 ふた板・・・)で頼まれたため、店を始めるにあたり、お品書きに板そばという名前を付けたそうです。
現在は50ヘクタールのそば畑を契約栽培し、石臼の目立てを行って製粉、息子さんと一緒にそばを打っています。「旨いかどうかはお客さんが決めるもの。けれど自分はウソをついて まで商売しない。これだけの材料、最高の努力をしているという自負がある」。
その思いは鳥中華でも同じです。スープは鰹節をカンナで削り、昆布と合わせ、その日必要な量をそばつゆと同じようにとっています。一口に鰹節といっても、暖流なのか寒流なのか 、いつどこで獲れたかによって脂のノリが違う、血合いを取るか、残すかでも味が違います。
花かつおの原料となる荒節<あらぶし>、鰹を三枚におろした亀節<かめぶし>、カビを付けることにより水分を抜きながら、うま味成分のひとつであるイノシン酸を増やして熟成さ せた枯節<かれぶし>など様々な種類があり、それらを吟味して使い分けています。
鶏肉は冷凍では味が出ないと、生のもも肉にこだわります。付け合わせは刻み海苔に三つ葉、ねぎとシンプル。たっぷりの天かすも入りますがベースがそばつゆですから、しつこくあ りません。「ラーメンだからといい加減なことはしたくなかった。でも偶然の産物だと思うね。そう簡単に麺とスープが合うわけがない。横浜のラーメン博物館に入らないかと誘われたの ですが、私はそば屋だからとお断りしました」。
毎日カンナで削るという鰹節、鯖節(さばぶし)、宗田節(そうだぶし) 。(左より)
水車生そばでは3年をかけて土産用セットを作りました。鳥中華を出す店が、県内の村山地域、さらには仙台にまで広がりを見せています。「他店から鳥中華を出してもいいかと聞かれ ますが、こだわりを持ってどんどんやって欲しい。こうなると食文化を変えたという喜びが大きい。もう1回人生やり直しても、こんなもの作れるんだろうかと思いますよ」と矢萩さんは 笑みをもらします。
天童市麺類食堂組合の会長でもある矢萩さんは15年ほど前から「寒中挽き抜きそば」に取り組んでいます。江戸時代から天童はそばの産地でした。それを裏付けるのが諸大名から将 軍家への献上品を記した「大成武鑑(たいせいぶかん)」の時献上(ときけんじょう 季節ごとの献上品)。それによると266家の中で、9家がそばを献上しており、その一つに出羽国村山 郡天童在所二万石 織田兵部小輔信学の名を見ることができます。当時、天童はそばの栽培が盛んであり藩主がこれを特産品とし、東北・北海道で唯一将軍家に献上していることがわかり ます。
この「寒中挽き抜きそば」を再現しようと、文献に基づいての研究が始まりました。石臼でのそばの挽き方は、製粉所を何度も行き来して試食会を行うなど試行錯誤を重ねました。研 究を重ねた結果、秋に収穫した新そばを1年で最も寒い、小寒から大寒の時期に、玄そばのまま石臼で挽き、ふるいにかけてそば殻を取り除いたそば粉を使うことにしました。
こうして出来上がった「寒中挽き抜きそば」は豊かな香りと小気味良いのどごしが評判となり、一年を通して楽しめるよう、平成15年に乾麵が開発されました。現在天童市麺類食堂組 合の店で、オリジナル乾麵として販売されており、関東での認知度も上昇中です。「鳥中華」と「寒中挽き抜きそば」はいずれも天童の新たな観光資源となっています。その街の魅力とは 、現状に満足せず、目線を上げて研さんを積もうとする、矢萩さんや麺類食堂組合のような方々が、創り出しているものかもしれません。