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山形芸妓 菊弥さん

いま、山形から・・・ やまがた情熱人 山形芸妓(やまがたげいぎ) 菊弥(きくや)さん

昭和初期、山形に150人いた芸妓も現在は6人。花柳界の伝統を受け継ぎ、山形の料亭文化を残そうと、芸妓として活躍する菊弥さんの素顔に迫ってみました。

―舞子になるのは小さい頃からの夢だったのですか?

興味を持ったのは幼稚園の時。テレビで可愛らしい着物姿の京都の舞妓(※注)を見たのがきっかけです。その時からずっと憧れを抱いていて「中学校を卒業したら京都に行きたい」と思っていました。でも、親に反対されてしまって…。結局、舞妓になる夢は諦め高校に進学しました。

―ところが、山形で舞子になる夢が叶うことに?

高校卒業の年に「やまがた紅の会」が設立されたんです。舞子を募集するという話を聞き、迷わず応募しました。親も「京都じゃないならいいよ」と(笑)。「やまがた舞子」の1期生として、8年間活動させていただきました。

―舞子を引退したあと、花柳界を1度離れていますが?

芸事が一人前にできるのが芸妓。舞子時代に三味線や唄、太鼓などの稽古はしていましたが、自分自身満足できるレベルではなく「中途半端な自分は芸妓になれない」という思いがあったんです。引退後は、学校に通ってパソコンの資格を取り、事務の仕事をしていました。

―花柳界に復帰されるきっかけは?

街を歩いていて琴や三味線の音色が聞こえてくるたびに「戻りたい」という気持ちが強くなって。舞子時代から成長を見守ってくださった方々に「戻ってきたら?」と声をかけていただいたことも大きかったです。師匠からは「芸妓の道はいばらの道だよ」と言われましたが、「山形の花柳界の灯りを絶やしてはいけない」と芸妓の道へ進む決意をしました。

―30年ぶりの芸妓誕生ということで話題になりましたが?

会社に所属する舞子と異なり、芸妓は自営業のようなもの。私の場合は、祖母が芸妓(現役最高齢芸妓 小菊さん)だったので、足を踏み入れやすかったのですが、ほかの舞子たちにとってはなかなか破ることのできない壁なのだと思います。私の存在が、後輩舞子たちが芸妓になる後押しとなり、花柳界を一緒に盛り立てていけるようになれば嬉しいです。今後、商工会議所などによる芸妓の支援組織も設立されるようなので期待しています。

―お祖母様からの教えは何かありますか?

「お客様から褒められたら、けなされたと思いなさい」。これは、「褒められた時でも図に乗らず精進しなさい」ということ。芸事に関しては「見て盗め」と言われ教えてもらったことがないのですが、お座敷での心構えなど、教わることは多いですね。

―仕事の魅力とはどんなところでしょうか?

普段お会いできないような方々とお話ができること、そして1日中でも踊っていられるくらい大好きな踊りを披露できることです。私にとって踊りは生きがい。とても楽しくてやりがいのある仕事ですね。

―今後、山形の花柳界を守り続けていかれるわけですが?

昔ながらの良いところはしっかりと守りつつ、新しいものも吸収していかなければと思っています。京都に行ったり、赤坂の芸者さん達と共演させてもらったりしながら、県外の花柳界についても勉強しています。それから、後輩の舞子を支えるために、地方(三味線や唄など)の技術もしっかりと磨いていかなければいけないですね。三味線が苦手なんて言ってられないです(笑)。

※注 京都では「まいこ」を「舞妓」と表記します。

 

プロフィール
菊弥きくやさん Kikuya
1978年山形市生まれ。高校卒業後、山形伝統芸能振興株式会社(やまがた紅の会)へ入社し「やまがた舞子」の1期生として活躍する。2005年、山形では30年ぶりとなる芸妓に。山形の花柳界の担い手として期待されている。

取材協力
千歳館

 


 

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