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かみのやま温泉 開湯555年

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上山市立北中学校2年生が描いたかみのやまの魅力がぎっちりつまった絵。

 山形新幹線つばさに乗り、いざ、温泉王国山形県の「かみのやま温泉」へ。かみのやま温泉駅のホームでは、地元の中学生が制作した大きな絵が旅人を歓迎します。歌人、斎藤茂吉が名物の玉こんにゃくを持ち、擬人化された上山城や案山子、かせ鳥、そして、かみのやま温泉発祥伝説の鶴が、仲良く蔵王のお釜を露天風呂にみたてた温泉につかっています。そんな、微笑ましく、温かいおもてなしで、歴史と文化が今も息づく温泉城下町かみのやま。かみのやま温泉は今年、平成25年に開湯555年を迎えました。

 

鶴が傷を癒した湯、開湯555年
かみのやま温泉発祥の地、鶴の休石。

 かみのやま温泉は、長禄2年(1458年)に、肥前の国(現在の佐賀県)の僧、月秀上人(げっしゅうしょうにん)が旅の途中、上山を訪れた時に、脛に傷を負った一羽の鶴が、沼地に湧く湯に脛を浸し、傷が癒えて飛び去る姿を見かけたのがはじまりといわれています。その湯が湧き出た現在の湯町地区がかみのやま温泉の発祥の地と伝えられ、古くは「鶴脛(つるはぎ)の湯」の別名があり、現在も「鶴脛町」という町名が存在しています。現在、発祥の地には、傷を負った鶴が休んだとされる「鶴の休石」や足湯もあり、街歩きで疲れた足を癒してくれます。

温泉発見の伝説が記された石碑。

 かみのやま温泉は、湯町、新湯、十日町、河崎、高松、葉山に温泉があります。各地区は温泉が湧き出た時期も異なり、それぞれに特色がありますが、総称して上山温泉郷と呼ばれていました。平成4年(1992年)の山形新幹線つばさ開通に伴い、駅名を「上山駅」から親しみやすい「かみのやま温泉駅」に変更した際に、温泉名も「かみのやま温泉」とひらがな表記にし、温泉全体を称して、かみのやま温泉郷としています。

 開湯555年を迎えた今年は、地元の人がこの地に温泉が湧いたことに感謝するだけでなく、多くの人が訪れて、楽しんでいただける温泉をめざし、町づくり元年として、たくさんのイベントが企画されています。

 

奥羽三楽郷。城下町、宿場町、温泉町の一大歓楽地
かみのやま温泉旅館組合長 冨士重人さん。かみのやま温泉の歴史を伺う。資料一つ見ることなく、年代と出来事がスラスラ語られる。

 江戸時代、上山藩の中心であった上山城は、室町時代に、羽州探題で最上の祖斯波兼頼(しば かねより)の曾孫である天童満長(てんどう みつなが)が上山市街地の西側にある虚空蔵山(こくぞうさん)に山城を築いたのが初めとされ、当時は、高楯城または亀ケ岡城とよばれていました。上山義房(かみのやま よしふさ)が城主の時の永正11年(1514年)に、伊達家第14代当主植宗(たねむね)に攻略されましたが、天文4年(1535年)に、義房の子、武衛義忠(ぶえい よしただ)が、伊達氏より奪還して現在地である月岡・天神森に新たに城を築き拠点を移しました。以降、上山城として明治維新まで続きます。

かつて羽州の名城として知られたという上山城。現在の上山城は昭和57年(1982)に郷土歴史資料館として建てられたもの。

 慶長5年(1600年)の「出羽の関ヶ原」ともいわれた最上家と上杉家の戦いの時には、長谷堂を攻めた直江兼続率いる軍とは別に上山に入った約4500名の上杉軍を、上山城から打って出た兵約500名が迎え撃ち、勝利しました。最上軍の本丸である山形城のすぐ南に位置する上山城を守ったことは、最上軍が本拠山形を死守するうえで、大変大きな功績となりました。

 温泉が発見された1458年以降、土地の人々が住みつき温泉を使い始めたようです。武衛氏が伊達氏より山城を奪還した1535年から城下町が形づくられ「湯の小路」の地名がでてきます。温泉発祥の地である湯町地区で7、8軒の温泉宿が細々と営まれてはいたものの、当時は農民や一般庶民が気軽に温泉に入れるわけではなかったようです。

共同浴場、下大湯。昭和の雰囲気が漂うレトロ感。

 庶民が温泉を利用できるようになったのは、寛永2年(1625)に、初代上山藩主松平重忠(まつだいら しげただ)が共同浴場「下大湯」に初めて温泉を流した時からだそうです。時は江戸時代、庶民の温泉利用がはじまった頃、羽州街道が整備され、参勤交代の重要交通路として、また、出羽三山参りの宿場町として、上山はどんどん発展していきます。温泉の中心地も武士の温泉地であった湯町地区から、上山城を囲むように、東側の十日町地区に移動し、宿場町としての賑わいを増していきました。

江戸時代、参勤交代、出羽三山詣でで賑わった頃。中心にあるのが上山城。

当時は湯女と呼ばれる女性が多くいて、造り酒屋も10軒以上あったといいます。当時の上山温泉は、会津の東山温泉、鶴岡の湯野浜温泉と並び、奥羽三楽郷に数えられるほどの一大歓楽街となりました。羽州街道の宿場、福島県の桑折宿(伊達郡桑折町)から青森県の油川宿(青森市油川)までの48宿の中で、温泉と城下町と宿場町があるのは、ここ上山宿だけだったといいます。また、気候のよい6、7月は、出羽三山詣での修験者の宿として賑わいました。当時、500人程度の収容人数の上山に6、7月で10,000人もの宿泊があったそうです。

 その後、大正時代に新湯地区に温泉が出て、大きなホテルが建ち並ぶようになります。また、お城を囲んで温泉の中心街が移動していきました。やがて昭和になり葉山地区に温泉が出てからは、お城の周りの温泉街と、大型旅館と特徴ある独自の路線で展開する葉山地区の温泉街とが中心になり、現在のかみのやま温泉郷を築いてきました。

 
葉山地区にあるかみのやま温泉第一号の足湯。山形県内でもあつみ温泉の次、二番目につくられた。

 かみのやま温泉の共同浴場は、1625年にできた下大湯と、江戸時代に足軽屋敷があった下級武士のための鶴の湯に、昭和になり、1684年に作られた中湯をはじめとして、その後、4ケ所の共同浴場を加え、現在は7ケ所の共同浴場があります。熱めのお湯で、はじめての方には少しとまどうかもしれませんが、150円で入浴できますので、地元の人といっしょに裸のおつきあいをしてはいかがでしょうか。歴史ある下大湯は、向かいに駐車場もあり、朝6時から夜10時まで営業しています。

 また、市内の各地に5ケ所の足湯がありますので、タオル1本持ってお出かけし、街中散策に疲れたら、気軽に足湯で癒してみては。

 今年のかみのやま温泉は、例年のお祭りに開湯555年の冠をつけ、パワーアップさせてイベントを開催していく予定です。夏にはスマイルプロジェクトと称して、5,550発の花火をあげるとか。

 

上山型「温泉クアオルト」で健康ウォーキング

 上山市の新しい取組みとして、平成20年よりはじまったのが、気候性地形治療法ウォーキングです。

 
 
上山の里山の自然を満喫しながらクアオルト健康ウオーキング。ガイドがつくので、初心者でも安心して参加できる。

 「クアオルト」とは、ドイツ語で「健康保養地」という意味で、「気候性地形療法」という手法を用い、山の気候と地形を活かして行われる上山の気候性地形療法クアオルト健康ウォーキングは、日本初で唯一ドイツのミュンヘン大学から認定されたコースを歩きます。同大学のシュー教授から指導を受けたコースが5ヶ所8コースあります。

 山城跡である虚空蔵山をはじめ、三吉山、西山、葉山などの里山が多くあり、また、蔵王連峰のふもと蔵王坊平高原などの自然豊かな準高地があります。専門のガイドといっしょに、高低差、傾斜を利用し、途中心拍数を計って、自分の身体と向き合いながらウォーキングをするものですが、自然豊かな景色や草花を眺めながら、森の癒し効果も満喫しつつ、健康づくりを楽しみます。基本は、楽しく、頑張らないこと。「気候性地形療法」は、持久力のアップ、精神的なリラックス効果があるといわれています。

 そして、クアオルトで心地よい汗を流したあとには、温泉にゆっくりつかって心身ともにリラックス。地元の美味しい食材でお腹も大満足です。

 上山市観光物産協会ではクアオルト毎日ウォーキングを開催しています。クアオルトウォーキングメニュ-は同協会のホームページで紹介されていますので、「かみのやま温泉クアオルト」で検索してみてください。事前予約の必要なもの、予約なしで参加できるもの、参加料、集合場所等の情報が掲載されています。

 上山市には、地域資源である温泉、観光地、地形、自然、美味しくてビタミン豊富な果物が揃っています。そして、それはクアオルト健康ウォーキングに適した条件でもあるのだそうです。現在、上山市では、温泉に滞在して、自然と温泉城下町を楽しんだり、季節の果物狩りを体験してもらうなど、認定コースの他にもかみのやま温泉ならではの楽しみ方を計画中です。ぜひご期待ください。

 

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  • 平成25年5月17日掲載

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