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寄稿 田麦野さくらんぼ滞在記

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山形暮らしのススメ、田舎暮らしへの「ぬくもり体験」



玉田樹(たつる)さん
(株)ふるさと回帰総合政策研究所 所長。1945年青森県生まれ。東京大学工学部卒業後、野村総合研究所勤務。執行役員、理事などを経て、2006年3月末退職。著書に「ユビキタス・サービス産業化の構想」(野村総合研究所)、「兼業兼居のすすめ」(東洋経済新報社)などがある。

ことの発端は、3年前にさかのぼる。山形県の知人の実家はさくらんぼ農家をしている。聞けば親御さんが歳をとったために、収穫期には外部労働力に頼り始めたという。前の年は隣県から初心者をアルバイトとして迎え入れ、ピーク時に対応したそうだ。

「田舎暮らし」希望者の半分は田舎で悠々自適を決め込みたいと考え、残り半分は飽きのこない活動「仕事」をしたいと考える。また、希望者の半分は「空き家」に住みたいと考えていると言われる。知人の話に「そうか、さくらんぼ狩りをしながら、『空き家』暮らしができるのか」と、夢は現実的な姿となって現れてきた。

そして昨年の初夏、天童市のさくらんぼ農家と天童高原の田麦野地区で、この夢はとうとう実現した。県と市の協力が得られたため、東京世田谷区のシルバー人材センターを中心とした13名を第一班、私の友人たちと一般参加の6名を第二班として、2回に分けて行われた。私はどちらの回にも参加することとし、第1班では天童高原ロッジ、第二班では空き家を宿とすることになった。



山形のそば品種「でわかおり」を使って生まれて初めてのそば打ち体験。

私たちは到着すると、まず、お世話をしてくれる田麦野地区の方たちと「仮親戚協定」を結んだ。これからのお付き合いが続いていく、出発点である。翌日から午前中は、天童市内のさくらんぼ農家に分散して収穫の手伝いをした。さくらんぼ農家では、最初に加工用のナポレオンの収穫で訓練を積んだ後、ようやく佐藤錦のさくらんぼ狩りをやらせてもらえた。のどが渇けばさくらんぼをほおばる、それは快適な作業であったし、また収穫の終わった農園のビニールシートの後片付けでは、「仕事をした」という実感を味わった。

午後は、天童市シルバー人材センターの方たちが、田麦野小学校の跡を使った交流施設「ぽんぽこ」で笹巻きの作り方を教えてくれ、それを食べながらの楽しい会話がはずんだ。さらに、天童シルバーと世田谷シルバーは、第二班が泊まる空き家の障子貼り、植木の手入れを協働作業で行い、思いもよらぬ感動的な光景を繰り広げた。

第二班の私と友人たちが持ち主のご好意によって空き家で寝泊りできたのは、素晴らしい体験であった。ちょうど4人なので、夜は麻雀でもと考えていたが、田麦野の方たちが毎晩ひっきりなしに訪れてくれて、酒を飲みながらの楽しい歓談が続き、結局麻雀は場を賑わすことがなかった。



空き家の庭にあった植木の共同刈り込み作業。仲間とともに充実感を味わった。

田麦野では、愛称「館長」、自称「登山家」というコンシェルジュ(世話人)の方をはじめ、長老方、仮親戚の方々、青年会の面々、「ぽんぽこ」やロッジの人々、美味い蕎麦屋のおやじなど、多士済々の暖かさに触れられたのはなによりであった。最後の晩の交流会は大いに盛り上がり、ふと気がついてみると、また来る気になっている自分がいたのである。

最後の日の早朝釣竿をかつぎ徒歩5分、教えてもらったポイントでヤマメ3匹を釣り上げたのも、また来る気に輪をかける久々の快感となった。

その後に行われた反省会では、田麦野の方たちから「いろいろ意見はあるが、ともかく第一歩を踏み出した」、「これから自分達の手でもっと空き家を開拓して、田麦野の活性化を図ろう」という意見が出た。また天童シルバーは他の果樹の収穫期などにも大都市のシルバーとの連携を図ろうと模索を開始した。

こうした貴重な経験をもとに、次の一手として、地元に「空き家」を残してきた人が風入れできるようにするため、「ふるさと納税」が使われるよう働きかけたい。また、「空き家」のきわめて安価な水周り改修モデルをつくってみたいと考えている今日この頃である。


役立つ交流情報(天童市)天童市立高原の里交流施設「ぽんぽこ」
平成18年3月末で閉校となった田麦野小学校を改装し、地域の豊かな自然環境を生かしながら、自然体験や環境学習、体験交流等をとおして、交流人口を拡大し、地域を活性化させるために開設した施設です。
問い合わせ(電話)023-656-2955



 

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