寄稿

高畠の町と出会って11年、仙台から高畠に移り住んで早6年の月日が経つ。高畠から仙台にはよく仕事で出かけるが、仕事以外の時間を仙台で過ごすことは少なく、高畠の磁力(地力)に引かれるようにすぐに帰ってくる。東京に出かけて行ってもなかなか美味い食にありつけず、高畠の食がすぐに恋しくなり、幸か不幸か、これまたさっさと戻ってくる。高畠のみならず、山形の食材は本当に豊かだと思う。
多くの友人・知人から「どうして高畠に住みついたの?」と良く訊ねられるが、それに対してはこの6年間ずっと同じ答えをしてきている。その理由としては3つあり、1つ目は「空の広がり」が大きく、遠くに吾妻、飯豊(いいで)、朝日、蔵王の美しい連峰が望めること。2つ目は「歴史・文化の宝庫」、3つ目は「人的資源の豊かさ」であることを誇らしげに説明するのである。そのような自分に呆れるほど、高畠の魅力を語りだしたら止まらない。地元の方から「あんだみだいなの、“たかはた病”って言うんだごでぇ~」と時々言われる。ここに暮らしてから、日々本当に飽きない。季節ごとに新鮮な刺激があり、好奇心を満たしてくれる。

伊達家の信仰厚かった安久津八幡神社の三重塔
理由の1つ目である自然環境にしても、刻一刻と変化する山々の表情、四季折々の里の表情に季節の移ろい、大自然の厳しさや優しさ・美しさなどを感じ取れる。そこに、ひたすら畏敬の念を払いながら“まほろばの大地”に感謝するのみである。いつしか“まほろば人”としての自覚を勝手に持ってしまったものだから、「気がつけばまほろば人」という本まで出版してしまった。これも地域の方々のご協力があったから書き上げることができたものである。
2つ目の理由である「歴史・文化の宝庫」について言えば、高畠には縄文時代の住居跡が点在し、近年に至っては、伊達家の歴史的な変遷と地域社会との関わりなどの興味深いものが数多くある。押出(おんだし)遺跡にいたっては、約5,500年前の縄文時代前期後半の集落跡。縄文時代の生活を考える上で重要な手がかりとなっている漆製品、食料品などの遺物が発見された。その多くが国の重要文化財に指定されている。

石器時代から縄文時代までの人々の暮らしがあったといわれる日向洞窟
また、日向(ひなた)洞窟は縄文草創期(約10,000年前)のものとして、ここで発掘された土器・石器は考古学的に旧石器文化から縄文文化への発展過程を解明する上で極めて重要なものとされている。その存在は全国的に知られ、学会からも高く評価されている。
古代からの生活跡に隣接して暮らす時、歴史・文化がとかく薄れがちな今の時代だからこそ、真に壮大なロマンさえ感じる。
3つ目の理由である「人的資源の豊かさ」について筆頭に掲げるのは、『“農”は、人の命を預かる産業』といってやまない農家の方たちがいることだ。高畠の農家の人たちの作物作りに対する研究熱心な姿勢には心打たれるものがある。また、歴史・文化を語り継ぐ人たちも多くいる。食や工芸に対しても匠の技を持っている人が多数いる。食品加工の分野でも、世界に通用する技術を持ち、海外から評価を得ている人もいる。ハム、ソーセージ作りで本場ドイツの品評会で金賞をとった人もいる。
今後は、1次、2次、3次産業の各分野の“達人”たちに若者が続く仕組みづくりを町ぐるみで築いていくことが望まれるところである。

《移住者の生活》
Iターンの人たちが80人ともいわれている高畠町である。
Iターンの人たちの前職は多岐に渡っている。大手の商社の駐在員、コンピュータ関連技師、映画監督、編集者、看護士、大学教授など様々である。
その人たちの中には、専業農家になった人もいるが、大抵の人が農とのかかわりを持ち、前職の経験を生かして仕事をしながら、米づくりや野菜作りを楽しんでいる。
Iターン者といえども地域活動を地元の人たちと共に行うことにより、それぞれの人は地域の一員となり、そして地域のネットワークを構築し、田舎暮らしをエンジョイしている。

