庄内の食材にこだわったイタリア料理


 夢を追い続け、情熱を失わない熱い人たちがいます。このシリーズで紹介する情熱人たちは、幼い子どものように瞳を輝かせながら、ひとつの道を突き進むことが「いかに楽しいか」を語ってくださいました。
「食の都庄内」、庄内にはすべての秘密が隠されている。四季、自然、気候、生態系、歴史、研究、そして人々の想い。

 山形県庄内地方は、日本有数の稲作地帯として知られています。また、没後10年経った今も根強い人気の時代小説作家「藤沢周平」の出身地であり、彼の小説を原作とする映画の舞台としても脚光を浴びています。そんな総人口約32万人の小さな地方から、日本全国はもとより、世界中に向けて「食」で人々を幸せに元気にしようという料理人、奥田政行さんがいます。

 異常気象という言葉が、頻繁にマスコミを賑わすようになった昨今、山形でも暖冬、長梅雨、記録的な高温続きの夏と、地球全体が病んでいることを身近に感じます。「この地球環境を救えるのは、今、今じゃなくちゃダメ!今だからやれる!それも、東京じゃなく、今、山形から、庄内から」と熱く語る奥田さん。あまりに情熱的な言葉に少したじろぐと、「良いものを見せてあげる」と庄内地方の地図を広げ「庄内にはすべての秘密が隠されている」といたずらっぽく笑いながら説明してくれました。

 「日本で一番四季がはっきりしているのが山形県、それも8月の日照時間が日本一の庄内なんですよ。」西は日本海に面し、月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山、秋田県との境には鳥海山。月山から土を運ぶ赤川と、内陸からの土を運ぶ最上川、2つの大きな川の両岸にはそれぞれ異なった性質の4つの土。こうした自然環境を活かした適地適作の農作物と、日本海から水揚げされる海の幸。そして、庄内には酒田と鶴岡という違った文化を育んできた都市が2つ。酒田は湊町で海洋性の気候、人々の気質も新しいものが好きで作物は洋野菜が多く、一方鶴岡は城下町で比較的盆地性の気候、古いものを大切にし在来野菜の種も多く保存され、山形大学農学部では在来作物が研究されている。歴史的背景としては、北前船海運の交易と出羽三山信仰による物と人々の往来でもたらされた文化や食材。つまり、庄内は、四季、海抜0メートルから2,000メートルの地理的条件、海・山・川、土質、食材の生産・消費にちょうどいい人口(東京では多過ぎ)、人々の気質、そして知の研究、さらには過去、現在、未来があり、すべての要素が総合された食材の一大産地。そして、何より1日に使う食材が自分で車を運転して集められる距離にあるため、その日に使い切るだけの新鮮な食材を確保することができる、つまり庄内全体が巨大な冷蔵庫。

 「このような条件が揃った場所は、日本、いや、世界でも極めてまれなのです!」


庄内の食を調べていたら好条件がすべて揃っていたと熱く語る奥田さん。あらゆる知識が食に結びつく。料理人であり食の伝道師である。


アル・ケッチャーノの窓から見える庄内平野の田んぼ。実りの秋はもうすぐ。

 

自分の足と舌を頼りに庄内中を飛びまわって食材を集める。生産者の生の声を聞くのも大事な仕事。

 


庄内の食材にこだわるイタリアン料理店 地元の人に育てられ、現在は海外からもお客様が訪れる。

 奥田さんの経営するイタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」は、テレビ、雑誌等で幾度も紹介され、日本各地、海外からもお客様が訪れます。店内に掲げられた3枚の黒板には、毎日変わる本日のメニューがびっしり。これは庄内の縮図だそうです。たとえば、海がしけると魚が少なくなり、他の食材が多くなります。山菜の季節には山菜が、きのこの季節にはきのこの欄が多くなります。すべて、早朝から自分の足で歩き、手に取って仕入れてきたもので構成されたメニューを奥田さん自ら書いていきます。

 店名の「アル・ケッチァーノ」はイタリア語ではなく、庄内弁で「あ~そういえばあったっけの~(あったね)」と、食材は自分の足で「歩けっちゃーの」ということをもじったそうです。2000年3月に故郷鶴岡にオープン、そのきっかけとなったのは東京で働いていた時に仕入れた良質の野菜の値段が高く、なぜかと尋ねると庄内産だからとのこと。ところが、帰省した折に地元のスーパーに行くと地元産の野菜がない。良い食材が地元で食べられないのはおかしい、そのような流通の形態では生産者も消費者も潤わないという思いがありました。「それなら、自分が庄内の食材を使って地域を活性化してみよう。」

 「アル・ケッチァーノ」は地元の人に育てられたと、奥田さんは断言します。全国ネットのテレビ番組で特集されたことで、店内32の席はいつも満席。昼も夜もなかなか予約の取れないほどの人気店になりました。

どんなに忙しくても、人気店になってもお客様に対する姿勢は変わらない。地元のお客様に深々と。


国道112号線沿いにあるアル・ケッチァーノ外観。


本日のメニュー看板。奥田さんと共に信頼のおける7人のスタッフで店がまわっている。


畑から皿までを一直線につないで見せるという試行。そこには、生産者と料理人と消費者、それぞれの発見が。


生産者は、イル・ケッチァーノの入口脇にある井戸水で大切に育てた野菜を洗い店内の専用テーブルへ運ぶ。優先席で、どんな料理になっていくのか、お客様の反応がどうか、つぶさに見ることができる。


 人気店になった「アル・ケッチァーノ」には、全国各地からたくさんのお客様が訪れるようになり、庄内の食の素晴らしさを知っていただけるようになった反面、地元の人がふらりと訪れても入れなくなりました。育ててくれた地元の人が入れない、それでは本来の姿ではない。

 そこで、今年7月にカフェとドルチェを中心とした「イル・ケッチァーノ」をオープンさせました。イル・ケッチァーノとは庄内弁で「いる(必要だ)っけの~」という意味。地元の人も気軽に立ち寄れ、また、県内各地から働きたいと来る若者たちの受け皿でもあります。しかし最大の目的は、畑から皿までを一直線につないで見せるという試行のステージであるということ。

 店内に作られた優先席。ここには生産者の方が座り、大切に育てた食材を目の前で奥田さんが料理していくところ、そして、それをお客様が食べるまでを見る。生産者は自らの仕事への誇りを、お客様にとっては間違いのない食材で作られた料理を堪能できる場所なのです。時には、このスペースを無料で提供し、どうしたらもっとお互いの満足度を高められるのかをみんなで研究します。つまりここは、みんなを幸せにするための場であり、庄内各地からさまざまな食材が持ち寄られる食の展示場でもあるのです。

 「料理人として、食でみんなを元気にする」と奥田さん。常にハングリーであることが自分らしいと、さまざまなメディアからの取材、講演、雑誌の連載、親善大使としての活動と睡眠時間を削ってでも積極的にこなすのは、自分が媒体になって庄内の食材を紹介するため。「庄内、山形、そして、日本、世界各地の人々が自分の地域に誇りを持ち、そこにある原石を磨くことで、そこに住む人々が元気になる。結果、日本中、世界中が元気になり、最終的には地球を元気にしていくのだと思います。」今日も奥田さんは全力疾走しています。

【プロフィール】
奥田 政行 (おくだ まさゆき) 1969年、山形県鶴岡市生まれ。高校卒業後、東京でイタリアン、フレンチ、フランス菓子、ドルチェを修業。地元ホテルの料理長に27歳で就任。2000年、『アル・ケッチァーノ』を櫛引(くしびき)町(現・鶴岡市)にオープンする。庄内の農・畜・水産物を全国に広める山形県の「食の都庄内」親善大使。スローフード協会国際本部主催の「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人(日本から11人)に選出された。


「生産者の方と食材を研究するときに、スライドを見るために使うんです」。イル・ケッチァーノ店内に、突然スクリーンが登場。


食で世界中を幸せにするという夢を達成したら、最終的にはひとりでやりたいことをしたい。「そういえば、そんな人がオル・ケッチァーノ(いたね)」と言われたいと笑う。




 

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