山形県名誉県民・山形県県民栄誉賞
山形県名誉県民
第1号 板垣 清一郎(いたがき せいいちろう)氏 平成5年6月24日顕彰
主要経歴
第41代~第45代山形県知事(昭和48年10月~平成5年2月)
出身地
大江町
功績の概要

戦後間もない昭和22年に本県県議会議員に初当選、以来、県議会議員、県議会副議長、県副知事、そして5期19年余りにわたる県知事として、およそ半世紀もの間、本県の発展、地方自治の確立に貢献された。
高速交通網等社会資本の整備、人口定着と経済活動の活性化のための産業の振興、県生涯学習センターの整備、東北芸術工科大学の創設等、人材の育成に力を注ぐとともに、平成4年には126万県民の力を結集した第47回国民体育大会「べにばな国体」及び第28回全国身体障害者スポーツ大会「輝きのべにばな大会」の成功に尽力された。
また、北海道東北地方知事会会長、東北自治協議会会長、全国知事会副会長等の全国的要職を歴任された。
第2号 福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん)氏 (本名:福王寺 雄一 氏) 平成17年3月12日顕彰
主要経歴
日本画家として我が国の芸術文化の振興に大きく貢献、平成9年 勲三等瑞宝章、平成10年 文化功労者、平成16年 文化勲章
出身地
米沢市
功績の概要

15歳で画家を志して上京、以来、日本画家として研鑚に励まれ、ライフワークである「ヒマラヤ」連作等、後世に残る多くの傑作を発表するとともに、日本美術院理事等の要職を歴任。また、平成6年には日本芸術院会員となり、平成16年には文化勲章を受章されるなど、日本美術界の第一人者として、我が国芸術文化の振興発展に貢献された。
「ヒマラヤ」連作に代表される、鳥瞰するような視野で描かれた雄大でダイナミックな作風により日本画に新たな表現方法をもたらすなど、独自の感性で、長年にわたり活躍。
また、本県内への多くの作品寄贈等を通して、本県芸術文化の振興にも寄与されている。
山形県県民栄誉賞
第1号 第47代横綱 柏戸 剛(かしわど つよし)氏 (本名:富樫 剛 氏) 平成9年2月4日顕彰
略歴

- 昭和13年11月 旧東田川郡山添村(現鶴岡市)で生まれる
- 昭和29年9月 (15歳) 伊勢ノ海部屋入門、四股名「富樫」で初土俵を踏む
- 昭和33年9月 (19歳) 新入幕を果たす
- 昭和34年3月 (20歳) 伊勢ノ海部屋の伝統の四股名「柏戸」を襲名する
- 昭和35年7月 (21歳) 大関昇進
- 昭和36年1月 (22歳) 幕内初優勝(13勝2敗)
- 昭和36年9月 (22歳) 横綱昇進
- 昭和44年7月 (30歳) 現役引退
- 昭和45年9月 (31歳) 鏡山部屋を創設
- 平成8年12月8日 逝去(58歳)
主な成績
- 幕内通算成績 599勝240敗140休 幕内在位66場所
- 幕内優勝5回 殊勲賞2回 敢闘賞2回 技能賞4回
- 身長 188cm 体重 146kg 得意技 立ち会いからの一気の寄り
柏鵬時代
昭和29年9月、蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏み、幕下時代から期待され、19歳で新入幕を果たすと、21歳の若さで大関に昇進、22歳で横綱に上りつめた。同時に横綱に昇進した終生のライバル「大鵬」とは名勝負を繰り広げ、「柏鵬時代」と呼ばれる一時代を築き上げた。一直線の速攻が持ち味の柏戸と、相手に合わせた柔軟な相撲の大鵬とは、相撲内容が対照的で、「剛の柏戸、柔の大鵬」と称され、二人の対決に国民は熱狂した。当時、大鵬は「巨人、大鵬、卵焼き」と子どもの好きなものに並び称されていたのに対し、柏戸は「阪神(大洋)、柏戸、水割り」と通好みの大人が好きなものに並び称された。
現役引退後は、年寄「鏡山」として多くの力士の育成に尽力し、自身が初土俵を踏んだ蔵前国技館最後の本場所(昭和59年9月場所)では、弟子の「多賀竜」が幕内優勝を果たした。
第2号 作家 藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい)氏 (本名:小菅 留治 氏) 平成9年3月8日顕彰
略歴

- 昭和2年12月 旧東田川郡黄金村(現鶴岡市)で生まれる
- 昭和24年4月 (21歳) 山形師範学校を卒業し、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校で教鞭を取る
- 昭和26年3月 (23歳) 病気のため教師を休職し、療養
- 昭和32年10月 (29歳) 業界新聞社に勤務
- 昭和37年 (34歳) 時代小説雑誌に藤沢周平の名で作品を執筆
- 昭和48年7月 (45歳) 「暗殺の年輪」で第69回直木賞を受賞。以降、本格的な作家生活に入る
- 昭和61年4月 (58歳) 「白き瓶」で第20回吉川栄治文学賞を受賞
- 平成9年1月26日 逝去 (69歳)
主な著作
- 時代小説
「獄医立花登手控え」、「喜多川歌麿女絵草子」、 「本所しぐれ町物語」、 「日暮れ竹河岸」、「海鳴り」 等
~海坂藩(うなさかはん)を舞台にした小説~
「蝉しぐれ」、 「秘太刀馬の骨」、「盲目剣谺返し」、「たそがれ清兵衛」、「三屋清左衛門残日録」 等 - 歴史小説
「義民が駆ける」、 「密謀」、「市塵」、 「回天の門」、 「一茶」、 「漆の実のみのる国」、「雲奔る」 等
など長編、短編合わせて200以上を執筆
癒しの文学と海坂藩
藤沢周平氏は、数多くの時代・歴史小説などを残した。特に、英雄や豪傑が登場するわけでない市井もので庶民の営みを描き、爽やかな余韻を残す読後感で、「癒しの文学」と言われている。 また、氏の故郷にあった荘内藩をモデルにしたと言われる、「海坂藩」が舞台となっている作品では、豊かな情景描写で、読む人に「懐かしさ」を与え、家族の情愛、夫婦愛など、哀歓あふれる作品となっている。「海坂藩」が舞台となっている作品には、庄内地方の方言が使われているものがあり、氏の故郷への思いが伝わってくる作品でもある。
第3号 冒険家 大場 満郎(おおば みつろう)氏 平成9年8月11日顕彰
略歴

- 昭和28年1月 最上郡最上町で生まれる
- 昭和58年 (30歳) アマゾン川6,000km単独いかだ下り
- 昭和60年 (32歳) グリーンランド西海岸1,400km単独徒歩行
- 昭和61年 (33歳) 世界初の北磁極(ほくじきょく)往復900km単独徒歩行に成功
- 平成6年~ (41歳~)北極海単独徒歩横断に3度挑戦するが失敗(この間、遠征中の凍傷のため足の指を全て失う)
- 平成9年 (44歳) 4度目の挑戦で北極海単独徒歩横断に成功
- 平成10~11年 (45~46歳) 南極大陸単独徒歩横断
- 平成16年 (51歳) 地球縦周りの旅 第一弾「グリーンランド横断成功」
- 平成17年 (52歳) 地球縦周りの旅 第二弾「カナダ北極圏の旅」実施 現在 冒険学校にて、次の冒険に向け準備中
冒険中の苦難を克服する原動力は?
冒険中に生死を分けるような危機の場面では、自分の今までの生き様がモロに試される。
極限のピンチを迎えた時、頭に浮かぶのは、生まれ育った故郷満沢(みつざわ)の自然豊かな山河と食べ物(納豆(なっと)かけまま、あんこ餅、漬物等)。厳しい自然に痛めつけられた時、これが自分のバックグラウンドだと気づかされ、生きて帰りたいと発奮させてくれた。
生きるということは?
アマゾン住民やエスキモーは、自然に調和し環境に合わせて生きている。人間の生き方の原点だと思う。そして、自分にとって生きるということは、冒険そのもの。
山形の若い人や子供たちへのメッセージ
いろんな人と話をし、多くの体験をし、多くの本を読んでぶつかっていくことにより、力を付けていってもらいたい。何をするにしても、自分が見えていないとうまくいかない。
第4号 元 プロ野球南海ホークス投手 皆川 睦雄(みながわ むつお)氏 平成18年3月15日顕彰
略歴

- 昭和10年7月 南置賜郡山上村大字関根(現米沢市)に生まれる
- 昭和29年4月 (18歳) 南海ホークス入団
- 昭和37年 最優秀勝率投手賞 19勝4敗 勝率 8割2分6厘
- 昭和41年 最優秀勝率投手賞 18勝7敗 勝率 7割2分
- 昭和43年10月6日 (33歳) 通算200勝(同年、最多勝利投手賞 31勝10敗、最優秀防御率投手賞 防御率1.61)
- 昭和46年 (36歳) 現役引退(通算成績 221勝139敗 奪三振1,638 防御率2.42)
- 昭和53年 名球会入り
- 平成17年2月6日 逝去(69歳)
高校時代
昭和26年、県立米沢西高校(現米沢興譲館高校)に入学、1年からレギュラーとなり、3年連続で東北大会に出場した。3年時は「エースで4番」、県内外に「米西の皆川」と名を馳せたが、東北大会の決勝で惜敗し、甲子園出場は果たせなかった。
高校時代、1年の県予選決勝でボークを自ら認めたフェアプレーの精神、進出した東北大会で右手の小指を骨折しているにもかかわらず完封勝利を達成した闘志、また、2年の東北大会で敗因となるミスをしたチームメイトを真っ先に慰めた優しさは、今も語り継がれている。
プロでの活躍
本格派投手として、昭和29年、プロ野球「南海ホークス(現 福岡ソフトバンクホークス)」に入団。アンダースロー転向後、独特の落ちるボールを武器に33歳で31勝をマークするなど、南海黄金時代を築いた。現在、日本プロ野球『最後の30勝投手』である。
現役引退後は、阪神、巨人、近鉄で投手コーチを務めた。
金田正一氏、長嶋茂雄氏、王貞治氏らとともに、昭和53年に発足した名球会の設立当初からのメンバーである。
第5号 劇作家・作家 井上 ひさし(いのうえ ひさし)氏 (本名:井上 廈 氏) 平成22年8月15日顕彰
略歴
- 昭和9年11月 東置賜郡川西町に生まれる。

- 昭和31年、大学在学中から劇場の台本を書きはじめる。
- 以来、「ひょっこりひょうたん島」、「手鎖心中」、「吉里吉里人」、「シャンハイムーン」、「太鼓たたいて笛ふいて」など数多くの戯曲や小説の名作を発表。
- その間、直木賞、吉川英治文学賞、菊池寛賞をはじめ幾多の賞を受賞するなど、日本を代表する劇作家・作家として長年にわたり活躍し、多くの人々に愛されました。
- 平成16年 文化功労者
- 平成21年 日本芸術院会員
- 平成22年4月9日 逝去(75歳)
主な作品
- 小説ほか
「ブンとフン」 、「手鎖心中」、「ドン松五郎の生活」、「吉里吉里人」、「ひょっこりひょうたん島」、
「東京セブンローズ」、「ボローニャ紀行」 等 - 戯曲
「しみじみ日本・乃木大将」、「小林一茶」、「シャンハイムーン」、「太鼓たたいて笛ふいて」、「父と暮らせば」 等
など多数の名作を発表
県内での活動
昭和62年、自身の蔵書の寄贈により川西町に「遅筆堂文庫」を開設。平成22年4月現在の蔵書数は22万冊に及び、平成20年には山形市に「遅筆堂文庫山形館」も開設。
昭和63年からは、「生活者大学校」を開校し、県内外の多くの若者を対象とした農業・経済・教育などの講座を継続して実施。
また、ふるさと川西町小松の地名から名付けられた自身の劇団「こまつ座」の戯曲を、県内でも数多く公演。
平成15年には、「国民文化祭やまがた2003」において、開会式・閉会式の特別プロデューサーを務め、母なる川「最上川」を介して様々な文化が育まれてきたことを踏まえ、水の大切さを考える祭典として、大会を成功に導かれました。