芭蕉消息 (ばしょうしょうそく)

名称(事業名) | 芭蕉消息 |
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ふりがな | ばしょうしょうそく |
指定区分 | 県指定文化財 書跡 |
指定年月日 | 昭和28(1953)年 8月 31日 |
所在地(市町村) | 鶴岡市本町 |
所有者(実施団体名) | 個人(個人所有のため地図は表示せず) |
概要 (活動状況等) |
元禄6年(1693年)3月12日付、庄内藩御徒目付岸本八郎兵衛宛の松尾芭蕉50歳の時の書状である。羽黒手向の近藤左吉(呂丸、露丸とも)は、元禄2年(1689年)芭蕉の奥の細道の羽黒逗留の際世話した人物である。2人はその後も交流を重ねた。 元禄5年(1692年)秋、近藤左吉は江戸深川の芭蕉庵を訪れ、芭蕉から『芭蕉三ヶ月日記』1巻を与えられ、さらに上方へ旅立ったが、翌元禄6年2月、京都で客死した。この訃報は、上方の焦門の洒堂・去来らから江戸の芭蕉にもたらされ、芭蕉もその都度、八郎兵衛に書簡で知らせた。 本書簡は、最も内容が豊富で、芭蕉の人間性がにじみ出た書簡である。またこの書簡の巻物には、同じく八郎兵衛(俳号公羽)宛の杉風の書簡2通、天野桃隣・関口介我、天童の羅陽、素龍らの書簡と、雪中庵蓼太の極め書が合装されており、巻裏には「嵐雪懐紙点譜」が用いられている。 (縦18㎝、横249㎝) |
問い合わせ先 |
公開の有無:無 |