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紙本墨書 千利休消息(薮中斎宛) (しほんぼくしょ せんのりきゅうしょうそく(そうちゅうさいあて))


名称(事業名) 紙本墨書 千利休消息(薮中斎宛)
ふりがな しほんぼくしょ せんのりきゅうしょうそく(そうちゅうさいあて)
指定区分 県指定文化財 書跡
指定年月日 昭和38(1963)年 12月 20日
所在地(市町村) 河北町谷地庚
所有者(実施団体名) 個人(個人所有のため地図は非表示)
概要
(活動状況等)
 千利休(1522~91年)は安土・桃山時代の茶人、千家流茶の湯の開祖。侘び茶の大成者。天正年間(1573~92年)の初めには、織田信長(1534~82年)の茶頭の1人となり、信長の死後は豊臣秀吉に仕えてその寵遇を受け、天正13年(1585)には、「利休居士」号を勅賜された。しかし、天正19年(1591年)2月、秀吉から死罪を宣告され、切腹して果てた。
 消息の宛名の藪中斎(そうちゅうさい)は、利休の弟子藪中紹智のことで、藪中系譜の初代である。文中の宗二は、利休の一の弟子とされる山内宗二のことで、宮法は宮内卿法院松井友閑、良叱とは、利休の長女の夫で石橋良叱(いしばしりょうひつ)をさす。
 山上宗二(1544~90年)は、天正11年(1583年)10月に、秀吉の機嫌を損じて流浪し、その後も京・大坂へ上ることはあっても、秀吉の茶頭に復帰することはなかったことから、その消息は、天正12年(1584年)以前のものと考えられる。
(縦25.5㎝、横38㎝)
問い合わせ先 公開の有無:無