清河八郎関係資料 (きよかわはちろうかんけいしりょう)

名称(事業名) | 清河八郎関係資料 |
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ふりがな | きよかわはちろうかんけいしりょう |
指定区分 | 県指定文化財 歴史資料 |
指定年月日 | 昭和39(1964)年 7月 6日 |
所在地(市町村) | 庄内町清川字上川原37 |
所有者(実施団体名) | (公財)清河八郎記念館 |
概要 (活動状況等) |
清河八郎(1830~1863年)は、文政13年、清川村斎藤治兵衛の長子として生まれ、後年、清河八郎と称した。長じて江戸に上り、古学を東条一堂、朱子学を安積艮斎に学び、剣術は千葉周作の北辰一刀流を修め、神田に清河塾を開いた。桜田門外の変を契機に国士を志し、山岡鉄舟らと「虎尾の会」結成し、尊皇攘夷のため活躍した。文久2年(1862年)浪士組結成を主導して京に上り、後の新撰組近藤勇らとも係わったが、袂を分かち、文久3年江戸で刺客に暗殺された。享年34歳。 本資料は、清河が、弘化4年(1847年)から文久3年までの間に著した自筆の著書、日記、漢詩集および書跡で、生家の斎藤家から寄贈されたものである。著書は論語、武道、兵学など9件、日記類は7件、その他書跡など、計27件、総計49点からなり、清河の事跡のみならず、幕末の政治資料としても貴重といえる。 |
問い合わせ先 |
(公財)清河八郎記念館 公開の有無:有 ホームページ:清河八郎関係資料 |
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