直江兼続夫妻の墓 (なおえかねつぐふさいのはか)

名称(事業名) | 直江兼続夫妻の墓 |
---|---|
ふりがな | なおえかねつぐふさいのはか |
指定区分 | 県指定文化財 史跡 |
指定年月日 | 昭和28(1953)年 2月 20日 |
所在地(市町村) | 米沢市林泉寺239-1の内ほか |
所有者(実施団体名) | 林泉寺 |
概要 (活動状況等) |
米沢城の南西にある春日山林泉寺の墓地は上杉家と家臣の墓地になっており、米沢藩の基礎を築いた直江兼統とお船の方夫妻の墓は、本堂南西の一角に石塀をめぐらしてある。向かって左が兼統、右が夫人の墓である。墓標は家型塔婆であり、軒反りの宝形造りの屋根が載り、その上に扁平な宝珠が据えられている。塔身正面は6角形の穴が3個あり、この特殊な形は兼統の考案といわれている。 直江兼続(1560~1619年)は上杉景勝の家老で、名将として知られている。慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封に伴い、米沢6万石を与えられ城下町の整備にあたった。慶長5年(1600年)の関ケ原戦では、徳川家康方の山形城主最上義光と戦った。上杉氏の米沢移封後も藩政に尽力し、学問の興隆に努めた。元和5年(1619年)江戸屋敷で没した後、米沢徳昌寺に葬られ、寛永年中にこの地に移された。 |
問い合わせ先 |
公開の有無:有 ホームページ:直江兼続夫妻の墓 Tel:0238-23-0601 |
地図 |