丸岡城跡及び加藤清正墓碑 (まるおかじょうあとおよびかとうきよまさぼひ)

名称(事業名) | 丸岡城跡及び加藤清正墓碑 |
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ふりがな | まるおかじょうあとおよびかとうきよまさぼひ |
指定区分 | 県指定文化財 史跡 |
指定年月日 | 昭和38(1963)年 1月 22日 |
所在地(市町村) | 鶴岡市丸岡字町ノ内68ほか |
所有者(実施団体名) | 鶴岡市及び天澤寺他個人 |
概要 (活動状況等) |
鶴岡駅の南約6.5km、庄内平野南端の地にある。熊本54万石の藩主加藤忠広幽閉の居館跡とその父清正の墓碑がある。 丸岡城は戦国初期の押切備前守の築城と伝えられ、後に丸岡兵庫頭義興の居城となった。寛永9年(1632年)、改易の加藤忠広を庄内藩が預かり、幽居の館を建てた。城跡は北と西に土塁と濠の痕跡があり、東の大手門跡の他、古井戸・泉水が残っていた。 平成元年から平成18年まで8次にわたって発掘調査が行われ、その成果をもとに、整備され、市民の憩う公園となった。 忠広の父清正の墓碑は、曹洞宗天澤寺本堂の北にあり、高さが125㎝の五輪塔である。この墓は昭和24年(1949年)に発掘され、佐賀県の初期弓野焼の壷に納めた遺骨が発見された。地輪左側面に「干時正保四天丁亥十二月三日清地院」正面に「 居士敬白」の刻銘があった。昭和42年(1967年)から鞘堂に祭られている。 |
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公開の有無:有 |
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