春雨庵跡 (はるさめあんあと)

名称(事業名) | 春雨庵跡 |
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ふりがな | はるさめあんあと |
指定区分 | 県指定文化財 史跡 |
指定年月日 | 昭和30(1955)年 8月 1日 |
所在地(市町村) | 上山市松山2-277ほか |
所有者(実施団体名) | 個人、上山市 |
概要 (活動状況等) |
(旧条例指定日 昭和28年8月31日) 寛永6年(1629年)に朝廷と幕府の間で起こった「紫衣事件」により、幕府の逆鱗にふれた大徳寺の僧沢庵宗彭(そうほう)が上山藩に配流となった。時の上山藩主土岐頼行(どきよりゆき)は、城南の松山の地に庵を建てて住まわせた。沢庵はここを春雨庵と名づけ、3年間過ごしたが、その間、山形藩主らとも交わり、松島や千歳山にも遊び、多くの和歌を詠じている。昭和28年(1953年)、沢庵が茶の水を汲んだ山の井をはじめ、6畳の座敷や他の部屋も復元された。 浅くともよしや又汲む人もあらば 我れに事足る山の井の水 沢庵がつくったとされる庭園や沢庵堰などの事蹟も市内に残っている。沢庵はその後上野寛永寺天海などの口添えにより許されて江戸に帰った。 |
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公開の有無:有 |
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