東本願寺御再建につき献上木として御影堂一番御虹梁並びに御柱山出し運搬の図 附 古文書2通 (ひがしほんがんじございけんにつきけんじょうぼくとしてごえいどういちばんごこうりょうならびにおんばしらやまだしうんぱんのず つけたり こもんじょ2つう)
名称(事業名) | 東本願寺御再建につき献上木として御影堂一番御虹梁並びに御柱山出し運搬の図 附 古文書2通 |
---|---|
ふりがな | ひがしほんがんじございけんにつきけんじょうぼくとしてごえいどういちばんごこうりょうならびにおんばしらやまだしうんぱんのず つけたり こもんじょ2つう |
指定区分 | 県指定文化財 歴史資料 |
指定年月日 | 平成29(2017)年 4月 28日 |
所在地(市町村) | 河北町溝延 |
所有者(実施団体名) | 個人(個人所有のため地図は表示せず) |
概要 (活動状況等) |
屏風 (材質)紙 (形状)著色屏風六曲一双 (寸法)左隻 149.5×332.0(cm) 右隻 149.5×331.0(cm) (作者)不詳 (製作年代)享和2年(1802)9月以降、そう間をおかない時期 (特色) 天明8年(1788)の京都大火で、東本願寺の御影堂・阿弥陀堂が焼失した。翌寛政元年(1789)から10年に及ぶ再建に際して、工藤儀七を中心とする最上門徒の活躍ぶりを描いたものである。 屏風は、左隻・右隻ともに上下2段に分かれて描かれている。上段には真室山中から切り出した欅の巨木を塩根川・鮭川・最上川を下して酒田湊に運び、そこから船で大坂まで輸送し、淀川を上って伏見を経て京都七条の東本願寺に運搬する様子が描かれている。 古文書 1通 享和3年9月6日、工藤儀七覚書(長崎来円寺・御使僧宛) (材質)楮紙 (寸法)全体 14.3×193.0(cm) 1通 享和4年3月2日、懸鼓庵書状(工藤儀七宛) (材質)楮紙 (寸法)全体 16.5×84.0(cm) |
問い合わせ先 |
公開の有無:無 |