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林泉寺米沢藩上杉家及び家臣団墓所 (りんせんじよねざわはんうえすぎけおよびかしんだんぼしょ)


名称(事業名) 林泉寺米沢藩上杉家及び家臣団墓所
ふりがな りんせんじよねざわはんうえすぎけおよびかしんだんぼしょ
指定区分 県指定文化財 史跡
指定年月日 令和1(2019)年 12月 6日
所在地(市町村) 米沢市米沢市林泉寺一丁目238番地1ほか
所有者(実施団体名) 林泉寺
概要
(活動状況等)
 曹洞宗は春日山林泉寺は、明応6(1497)年越後春日山(新潟県上越市)に建立された寺である。開基は越後守護代長尾能景。父重景の偉業を讃え、その菩提を弔うべくの創建と考えられ、林泉寺は重景の法名である。長尾能景は上杉謙信の祖父にあたる。その後、謙信の家督を継承した上杉景勝は、越後から会津、米沢と国替えになり林泉寺もこれに従ったとされる。
 林泉寺墓地には景勝の正室、側室、母の墓標があるほか、多くの藩主夫人・子女が祀られている。また上・中流武士層の墓も集中しており、墓所として林泉寺が重要視されていたことが窺える。本墓所では10種以上の墓標形式が存在するが、それらには上杉家および家臣団の階層構成と一定の相関関係が認められ、往時の墓地政策を知るうえで注目される。林泉寺で最上層に位置付けられるのは藩主夫人とその子女、米沢新田藩駿河守家であり、これらは「堂舎型+小型五輪塔」という形式が用いられた。これに次ぐのが家臣団墓所の「万年堂型+小型五輪塔」である。
 林泉寺米沢藩上杉家および家臣団墓所は、藩政史上著名な人物が数多く眠る土地であり、藩の宗教政策や武士層の信仰形態を知るうえで貴重な遺跡といえる。
問い合わせ先 公開の有無:有