大滝展啓

板金

大滝展啓の仕事。
大滝板金加工所(南陽市)

100年を見越した社寺建設に携わる板金職人、大滝展啓(おおたきのぶひろ)さん。
銅板を切って、叩いて、伸ばして、縮めて。手にした1枚の銅板に 膨らみや曲線が生まれ、次第に大滝さんが想い描いた鬼飾りとなった。


※所属等は取材当時のものであり、現在と異なる場合があります。

大滝展啓 銅板から描き出される曲線の美しさ

大滝板金加工所3代目の大滝展啓さん。一般住宅の屋根・外壁造りから、社寺仏閣の銅板加工、施工を主に、リフォームまでを手掛けている。その中でも大滝さんにとって「社寺仏閣の修復」への想いは強いものがある。
社寺仏閣に多く見られる「銅」葺きの屋根は、日本の気候風土と風景になじみ、年月を経てなお崇高な美しさを持つものが多い。銅板に加工と意匠、装飾を施し、耐久性を備えるという高い技術を要する社寺仏閣の板金職人は、県内でも数少ない。社寺建築物は一つ一つ形状も様式も異なるため、大滝さんは現場をよく把握した上で、大工さんと話し合い、屋根となる銅板の型を丁寧に紙へ起こして、工場で造り込んでいく。実際に屋根に取り付けると、その曲線の緩急が場所によって異なることがわかる。この曲線こそが、屋根の均衡を保ち、雨水を逃がす技術だ。屋根に風格を与える鬼飾りも一つとして同じものがなく、職人の技が冴える。「一枚の銅板から生まれる曲線美。常にその線のイメージを思い浮かべています」。


100年残る建物を。
社寺建設にかける想い


大滝さんは学生時代に建築に興味を持ち、米沢工業高等学校に進学、建築士の資格を取得した。人の住まいの設計の楽しさを学ぶ一方で、日本の伝統建築である社寺仏閣の世界に惹かれていく。高校卒業後は、社寺建築の屋根を多く手掛けていた山形市内の企業に住み込みで弟子入り。国指定重要文化財「山形県郷土館 文翔館」の保存・公開に伴う大規模な修復工事では、100m以上におよぶ雨どいを、銅板を溶接でつなぎ合わせて取り付ける作業にも携わった。多くの貴重な経験を積み、3年の修業を終えて帰郷。家業を継いでからは、職人として任される仕事も増えた。地元のお客様と直接やりとりすることを大切に、細かな作業も一手に引き受け、時には大滝さんを手伝いに奥様が現場に立つこともある。「自分が持つ技術を最大限にいかして、見た目の復元だけではなく、さらに100年輝けるような社寺仏閣にしたい」と大滝さんは言う。社寺建築の構造は、細部にこそ魂が宿り、技が光る。例えば屋根の葺き替え作業でも、銅板の「反り」「曲線」は、雨風を逃がし、美しさを長く保つための精巧な技を要する。

数年前のこと、加工所のすぐ近くの「皇大神社」の修復依頼を受けた。そこは地元の人たちが古来信仰を寄せる心のよりどころであり、子どもたちにとっての遊び場でもあり、大滝さんにも馴染みの場所だ。いざ工事に取り掛かると、屋根の損傷は予想以上に深刻なものだった。予算も考慮し、仮設足場や屋根の野地板等の修復もすべて大滝さんが担うことに。神社へ向かう道は100段以上もの石段で、重い木材はウインチで引き上げ、何度も上り下りして作業を進めた。「技術的にも体力的にも苦労しましたが、何より携われることがうれしくて。これからも地域の人たちに親しまれる場所であってほしいです」。


時間も世代も越えていく建築を。
技に込めたメッセージ


大滝板金加工所の工場の中は、道具や資材がいつもきれいに整えられている。「銅板は傷が致命的。砂やごみで傷をつけないよう、掃除はこまめにしています」。近年の家づくりは、大手ハウスメーカーから住宅資材が供給され、伝統的な技術をもった職人を必要とする現場が減っているという。そこに大滝さんは危機感を感じていた。「腕を磨き、継承してきた技術は、なくしてはいけないと思います。道具と技を駆使して、何年も残る建物を造り続けたい。次の世代の人たちが、私が携わった建築を通して技術を身につけたいと感じてもらえたらうれしいですね」。後世に日本の伝統建築とその技を伝えたい、100年先を見据える大滝さんの仕事には熱いメッセージが込められている。