左官
大工、鳶、左官といえば、江戸時代に花形といわれた三職。
「左官」は、建物を、頑強かつ見栄え良く仕上げる“塗りの達人”だ。
近年、建築業も量産・消費の社会に押され、昔ながらの職人仕事は淘汰されつつあったが、創造的・機能的な手仕事が見直され、今「左官」は再び花形となっている。
※所属等は取材当時のものであり、現在と異なる場合があります。
身一つ、コテ一つの職人技
鮮明だった「左官」との出合い
「左官の仕事を知ったのは高校生の時です。土木作業のアルバイトの現場で、おじいちゃんが何か作業してるなと思って見ていたら、次の日そこに階段ができていて。これを1人で、コテ1つで仕上げたんだと、とても驚きました」。志田さんはその日以来、一人親方のそのおじいちゃんと話すようになり、ある時ぽつりと「この仕事は俺がいなくなったら終わり」とつぶやいていたことが気にかかったという。その一言が長く心に残り、高校を卒業して一旦別の職種に就いたものの、一念発起して転職。そのおじいちゃん師匠のもとで2年間下積みを経験、「職人が多い会社に」という師匠の取り計らいで、㈱マルシゲに入社した。
感覚を鋭敏に、技を磨いて
美しい造形を未来に残す
左官の仕事は、漆喰やモルタルなどによる壁塗り、土間の仕上げ、タイルやレンガ工事、室内装飾など幅広く、個人宅から高層ビルまで現場も多種多様。基礎力あっての応用力が求められる。志田さんが先輩に教わったのは「手の感覚を大切にすること」。言葉より感覚で“体得して”仕事を覚えていく中で、志田さんの転機となったのは、ある漆喰工事だった。「2組に分かれての作業で、相手方との力量の差を見せつけられて、とてつもなく悔しい思いをしました。経験値が違いすぎて、自分もひたすら塗っていくしかないんだなと気づかされましたね」。
その悔しさをバネに職歴を重ね、今や職長を任されるまでになった志田さん。今、自身に課しているのは、あの師匠がつぶやいていた「この仕事を終わり」にさせないための技術の継承だという。「漆喰、土壁といった現場も経験しましたが、そうした特殊な技術は一度では自分のものになりません。今、先輩たちにしっかり教わっておかないと、建物も技術も後世に残せないという危機感を持っています」。古き良き日本の技術と建造物の佇まいを、未来に継いでいきたいという左官の矜持。志田さんは特に伝統の建築技術に思い入れがあるという。「古い蔵や建物には、屋根裏あたりに職人の名前が刻まれていますよね。そんなふうに自分が自信をもって手がけたものを形に残すことができる、それがこの仕事の一番の面白さです」。
建造物と日々向き合い、表現する
この仕事だからこそ見える景色
毎日の仕事も、一緒に働く人たちも、現場の雰囲気も「好き」と正面切って言える志田さんにとって、左官の仕事は天職ともいえるもの。「自分は飽き性ですが、この仕事は見る景色が毎日違う。だから合ってるんだと思います。何より働いていてストレスがない。会社のみんなもそう言ってますね。現場を仕上げて、みんなで『終わったね~』って言い合える、その達成感を共有できることがすごくうれしいです」。
建物ができて、町ができて、町の景色ができていく。志田さんたち左官の仕事は、その土地らしい景観を守り、創っていく役割を背負っている。