土田信太郎

大工

土田信太郎の仕事。
建築土田 代表(西川町)

大工とは、地域を知り、人を知り、そして木を知ること
月山の麓、西川町で長年大工として木と向き合ってきた土田慎太郎さん。
「まだまだ木の心を知らない」と静かに語る言葉に、木の奥深さを極めることへの強い信念が感じられた。

土田信太郎 ■基礎づくりの大切さを学ぶ
「上棟式で見た大工の格好良さに憧れた」。土田さんが大工を目指したのは小学校6年の時だった。16歳になると西川町を出て山形市内の職業訓練所に入所し、大工の基礎を学んだ。1年後、市内の棟梁に弟子入りし、憧れの大工への道を歩き始めた。「建築にかかわることは何でもした」と当時を振り返る土田さん。辛かったのは基礎づくり。土掘りやコンクリート練りは重労働だったが、家づくりにとって基礎がいかに重要かを学んだという。家は基礎によって柱や梁の組み立て方が決まる。基礎づくりこそ大工仕事の"基本中のき"というわけだ。

■職人の和も家づくりの基本
弟子入りわずか10カ月後に、土田さんは8畳のポンプ小屋の建築を任せられた。仕事への真摯な姿勢が認められた結果だ。切る、削るなどの手刻みは半年で大よそ身に付けた。「学ぶという強い意志があれば、人も道具も認めてくれる」は土田さんの口癖。この時の体験から生まれた言葉だ。
修業期間中、叩き込まれたのは「木の見方」。木の性質を見極め、将来の反り具合を判断しながら切り、削り、組立方向を決める。大工の技の要だ。棟梁は言葉では教えてくれない。自分で考え、怒られ、試行錯誤を繰り返し、体に浸み込ませていった。
修業を終え西川町に戻ってきた土田さんは、入母屋造りの家づくりに参加し、墨付けを任せられた。20代半ばでの墨付けは異例で、調子にのっていたこともあり、周囲の反感を買った。先輩からバッシングも受けた。この時、大工仕事は「職人の和」で成り立ち、コミュニケーションが重要であることも身を持って知った。

■十本十色の木を上手く使う
36歳で独立。棟梁になって感じたのは「地域を知らずに家づくりはできない」ことだった。家は家族がその地で毎日、半永久的に暮らし続ける空間。住む地域の気候・風土・慣習などによって形が異なるのは当然である。広さ、間取り、床の間の配置、さらに資材の使い方も違ってくる。例えば、山形市内と豪雪地帯の西川町では材料の量が違う。西川町は5割増し。垂木の太さも1.5倍ある。間取りも広い続き間が欠かせない。それらを知らずして設計はできない。その上でお施主さんの希望を理解し、材料を吟味し、形にしていく。それが良い大工の姿だという。
「優れた大工」の条件を挙げてもらった。「木の狂い方を上手く使うこと」ときっぱり。大工になって50余年、土田さんは未だにできないという。「まだ木に使われている」と。木には1本、1本個性があり、その性格を見きわめ、なだめるように刻んでいく。将来の狂い方に合わせて他の木や壁などと組み合わせていくことで、何10年と快適さを保ち続けていくことができる。その辺を熟知していないという。「仕事している間はずっと勉強です」と笑みを浮かべる土田さん。その目は「だから大工は面白いのです」と語っていた。