吉村広喜

大工

吉村広喜の仕事。
株式会社 吉村大工 3代目(川西町)

モノづくりに夢中になった少年が目指したのは
「地域に生きる大工」だった。
建物へのこだわりは、雪国での暮らしやすさと、
住まう人が楽しくなる少しのアクセント。
要望に応えるべく、今日もお客様と向き合い、
幅広いジャンルの建造物を手掛けている。


※所属等は取材当時のものであり、現在と異なる場合があります。

吉村広喜 新たな空間を生み出す
大工への憧れ


祖父、父の後を継ぎ、株式会社吉村大工の代表を務める、吉村広喜さん。子どもの頃から現場に連れていってもらい、その仕事を間近で見てきた。「現場で材料を切って、大地に土台を構え、組み立てて。風を感じながら休憩をして、地域の人とおしゃべりして。自然と一緒に、地域の中に新たな空間を創り出していく、大工の活き活きとした様子に魅了されていました」。学校の授業でも木工作品作りに夢中に。苦手な友人の作業も積極的に手伝った。

就職を決める頃、バブルが崩壊。景気の悪化に、家族は大工になることを反対。当時は冬になると出稼ぎにでるなど、副業も当たり前の時代だった。それでも憧れの大工になりたいと、島貫工務店に弟子入り。伝統建築から近代建築まで様々な技術を学び、一級技能士の資格を取得。技能オリンピックや全国青年技能競技大会にも出場した。そしてたくさんの経験を積みながら「生まれ育った地域で大工の仕事がしたい」と決意。稼業を受け継ぐことになった。


広いニーズに応える
モノづくりのスペシャリスト


「地域にはいろんなニーズがあって、それに応えられる大工になりたかった」。吉村さんはお客様との打ち合わせから、設計、3D パースの製作、建築まで全てを手掛ける。時には神社の鳥居を造ったり、牛舎から和風・洋風建築まで、要望があればジャンルを問わない。「常に思うのは〝住まう人の気持ち“。雪国ならではの造りや聴き取りはもちろん、牛舎を設計するときにも、子牛なのか、親牛なのか、餌や水はどんな状態で利用するのか、想像するんです」。理想の建物の実現と吉村さんの人柄を聞きつけ、依頼される方が多い。中には古民家風の住宅建築や、オールドアメリカン風のガレージなど、お客様の趣味嗜好の効いたものも。「ジャンルが広いほど大変。だけどそこにはいろんな想像をカタチにできる面白さがある」。

材料は効率化を求め工場でプレカットするものも。しかし、建物の特徴となるこだわりの部分については、サイズや形によって機械での作業ができないことも少なくない。「一つずつ丁寧に作業をしながら、わくわくしながら組立てる。予定通りの空間ができるのが本当に楽しい」。お客様と向き合いながら、全ての工程に携わるからこそ実感できる、大工の魅力があった。


創造をカタチにする
大工という仕事の面白さ


吉村さんは、木目や木の質感、表情そのものが好きだという。「それでも、鉄骨やその他の素材にも、それぞれの良さがあって、その持ち味を生かします。大切なのは、お客様とおしゃべりしながら、お客様ならではの面白みある建物を一緒に生み出していくこと。空間は想像次第で無限大。だから大工は楽しい」。株式会社吉村大工では現在、22~65歳の大工が仕事をしており、若手大工の募集も積極的に行っている。入社すれば現場での指導はもちろん、山形県が支援する「若手大工技能習得サポート事業」を活用したり、様々な資格取得を進めるなど、学びの機会も。「技術力を高めることで、自由に造る活動の場が広がり、面白さが増しますよね」。

また地域の子どもたちには、大工の仕事やモノづくりに興味を持ってほしいと、学校や、子ども向けのイベントで、のこぎりの指導から、本棚づくり、ミニチュアキットを使った家づくり体験などを実施している。吉村さんが子どもの頃から憧れていた大工の魅力は、時代と共に柔軟に進化を遂げ、次なる世代へのバトンとなっていた。