更新日:2025年11月7日
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宝塚歌劇団に入団し、山形県出身者として初のタカラジェンヌとなり、数多くの作品に出演。退団後の昭和56年には、山形市に「青葉みつるダンシングスタジオ」を設立し、長年に渡りジャズダンスやバレエの指導など、後進の育成に尽力。また、べにばな国体では開会閉会プログラムの演出・振付、演技指導を務めたほか、国文祭山形2003においても開会式におけるオリジナルダンスの指導にあたるなど、洋舞文化の振興、発展に貢献。
高校教諭として勤務する傍ら、近現代史を研究し、庄内出身の近現代史に名を刻む著名人の人物評伝を執筆。長期にわたって真摯に調査した各評伝は高く評価されている。また、鶴岡市史編纂委員等を務め、長年に渡り鶴岡市をはじめ、庄内地域の地域史・郷土史研究に寄与している。
15歳で広島にて被爆。その後、油彩画の制作に励み、積極的に作品を発表。自身の被爆体験を元に、平和の尊さを説く講話活動の継続など世界平和への希求活動と郷土愛溢れる作品を描き伝え続けており、95歳を迎えた現在も精力的に活動している。また、美術団体白甕社の委員長を務め、絵画教室や美術団体での活動を通して後進の育成に尽力。
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