更新日:2021年1月29日

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近代化を進めた建築物

山形県の近代化産業遺産群 近代化を進めた建築物

山形県の近代化産業遺産は、明治時代の洋風建築が多く残っている。明治維新を起した日本は、西洋諸国に追いつくために国の近代化を急ぐ必要があった。初代県令・三島通庸は、文明開化の象徴として多くの洋風建築を造り近代化を進めた。

旧済生館本館の写真旧済生館本館(山形市)⇒詳細を見る

『旧済生館本館』は、明治の宮大工たちにより文明開化の象徴として建築され、昭和の時代の職人たちの努力と技術により移築復原された。建物は、1878年(明治11)に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工した。「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名による。

旧西村山郡役所及び郡会議事堂の写真旧西村山郡役所及び郡会議事堂(寒河江市)⇒詳細を見る

『旧西村山郡役所及び郡会議事堂』は、同じ敷地内に並んで作られた明治初期の洋風建築であったが、世の中の流れと人々の求めに応じて別の場所に移築されるなどの変遷があり、学校校舎や行政庁舎などとして使用されてきた。
大正7年以来、長い間離れ離れになっていた二つの建物であったが、再び一ヶ所に復元され、郷土館として人々に当時の文化を語り継ぐ新たな役割を担っている。

旧東村山郡役所の写真旧東村山郡役所(天童市)⇒詳細を見る

明治新政府の郡制の発足により、織田二万石の城下町であった天童の地に創建されたもので、三層、白壁の斬新な洋風建築は人々に新時代の到来を示した。この建物は、その後、郡農会、天童町役場、天童市役所、市立図書館など、時代に応じてその役割を務めている。

旧西田川郡役所の写真旧西田川郡役所(鶴岡市)⇒詳細を見る

『旧西田川郡役所』は庄内を代表する建築家、高橋兼吉が手がけたルネサンス風の擬洋風建築で、明治開花期といえる鹿鳴館時代を偲ぶことが出来る建築物である。2階から塔屋へ登る階段は、下から支える柱が無い構造の「つり階段」になっており、側板の装飾模様や細工は17世紀前半の初期ルネサンスに流行した様式を模倣したものである。

旧鶴岡警察署庁舎の写真旧鶴岡警察署庁舎(鶴岡市)⇒詳細を見る

『旧鶴岡警察署庁舎』は初代県令三島通庸が、明治新政府の指導の下で新しい秩序を作り、庄内の近代化と復興を勧めるために建築したものである。洋風工法と在来の手法を融合した明治初期の擬洋風建築で、木造入母屋造りの建物は、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式が併用されている。

旧山形師範学校本館の写真旧山形師範学校本館(山形市)⇒詳細を見る

『旧山形師範学校本館』は、明治、大正、昭和の時代に数多くの教育者を育成し、現在の日本を形作る礎となった。明治5年の明治新政府による学制の発布で文部省は県立師範学校の設置を奨励したが、この方針に初代県令三島通庸が対応したものである。現在の建物は、1901年(明治34)に新築移転されたもので、ルネッサンス様式の木造桟瓦葺き2階建である。

旧米沢高等工業学校本館の写真旧米沢高等工業学校本館(米沢市)⇒詳細を見る

『旧米沢高等工業学校本館』は、染織産業の長い歴史を持つ町・米沢市が「染織学科を主科目」とする官立の高等工業高校の創設を誘致したもので、設立当初の学科は、「染織科」「応用化学科」の2科が置かれた。明治後半、全国各地で高等工業高校の誘致運動が盛り上る中、米沢市の熱心な誘致活動と関係者の並々ならぬ努力により設立が決定されたものである。

山形県旧県庁舎及び県議会議事堂の写真山形県旧県庁舎及び県議会議事堂(山形市)⇒詳細を見る

『山形県旧県庁舎及び県会議事堂』は、大正5年に大火消失から復興建設され、昭和50年の県庁移転まで県政において重要な役割を果たした。その後、山形県の文化の振興を図るために、10年の歳月をかけて「山形県郷土館(文翔館)」として復原された。

山形市立第一小学校校舎の写真山形市立第一小学校旧校舎(山形市)⇒詳細を見る

『山形市立第一小学校旧校舎』は、昭和初期に竣工された鉄筋コンクリート造りの校舎で、当時のわが国の最先端技術により建設された貴重な建築物である。また、現在でも小学校(現校舎)に隣接し、「山形まなび館」としてギャラリーや産業資料館、生涯学習室など市民に広く利用されている。

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